バンコク
2009年11月11日
bangkok の 旅 no.2
oct.31, 2009
バンコクで最初の朝が明けた。
あまりに赤い太陽が大きな窓から差し込む、早速 いつもの様に、
S氏に声をかけ、近辺を歩く。
ホテルは、敷地も広く、きれいである、朝も早くから車が疾走し、歩道橋を
渡りながら、店の通りを見出すが、公園が近くになく、殺風景ではある。
朝食は、7時半を過ぎて、皆でテーブルにつく。
M氏の顔色もよく、盛りだくさんのバイキングスタイルの中、宿泊客も多く、
シーリアル、牛乳、トマトジュース、お粥と前半食べ、その他の
野菜、ベーコン、オムレツ(その場での調理)、トーストとたっぷり食べる。
女性軍もしっかり食べて、満足感があり、朝食はホテル代に included.
ゆったりの食事のあと、近くの rachadapiesk 駅に、ホテル近くの河のあたりにたむろするタクシーを振り切り、ゆっくりと歩く。
頗る早いエスカレーターに乗りつつ、改札に立つ。
早速 I氏に教わった方法で、プラ製の黒い碁石の様なチップを使い、改札を通る。
親切なスタッフの教えてもらった リフトを活用して、プラットホームに立つ。
二重の扉になっていて、電車が来ないと開かない最新式。
地下鉄は、何故か 厳戒態勢で、係官にいるゲートを通り、異物検査をしている。
終着のファランポーン駅で降り、駅周辺の案内者に聞くと、王宮は、本日 午後2:00からとかで、急遽 アユタヤ訪問に切り替え、中央駅で、一人B15の切符を買い、
待つ間もなく、乗れるとかで、先にチェックして、乗車することになる。
この列車へのタラップが高く、暫し躊躇うが、S氏が上からM氏を後ろ向きにして、
両腕を差し込み、一気に2段 引っ張りあげたのには、恐れ入った。
その体力の余韻もあるうち、2人づつ別にビニール製のシートに腰掛ける。
11:00 過ぎの定時に、低いプラっとホームから、列車が出る。
車窓から市内を過ぎ、暫くして眼下、線路脇に、スラム的人家が軒を連ねる、
3度目の光景だが、貧しい生活を垣間見る。
田園風景を車窓にしながら、S氏が ビデオを撮り、1時間40分位で、目的の
のんびりしたアユタヤ駅に到着する。
構内、プラットホーム、駅舎の入り口からの景色と 以前と何も変わらない。
女性達が用を済ませんている間にも、帰りの切符購入の折衝、ツゥクツゥクの
運転手の交渉と矢継ぎ早に済ませ、背を向けたら最終妥協price が出たので、OKし、
お仲間を呼ぶ、乗ることになった車(三輪ミゼット)は、特に小さく、屋根が頭に
つかえる程であったが、M氏が上がって乗るのに、また一苦労だが、小さい事が幸いして、
腰を掛け、足を上にあげ、移動する事で納まり、まあ 彼等も他の快適な味を知らないので、それはそれで、外から風を受け、オンボロ車は行くであった。
橋を越えると アユタヤの遺跡のある地区で、最初の遺跡や祭ってある神を拝み、
3か所目に、最も 壮大な遺跡群を歩く、遺跡は、ヒンズー教までさかのぼって、
古式蒼然としたというか、赤茶けた色を年代につれて黒くした、100年単位で年月を積み重ねた様相で、殆ど 手つかずの そのままっといった感じで、ここだけが価値ある空気と空間の場所であった。
途中 B20で食べれる ココナツを、2つで4人で飲み、底をスプーンでさらえた果肉が
妙に食べやすかった。
2時間B400で、3か所であったが、不思議な事に、前回1時間で、更に 山田長政の記念館まで廻った事を思うと、相当早足で回ったのだろう。三輪を走り廻らせていた印象のみ残るが、受けた印象は、変わらない。
今回2度目で、2006年に見た世界遺産、アンコールワットの遺跡があまりに広大な地域で、精緻に過ぎた為、重くはのしかからなかったが、友と静かに歩いた16世紀の地は、
特別な異空間であった。
最初に、東南アジアの遺跡を見た、友人たちの受けた印象は、いかばかりであったろう。
帰りのプラっトホームは、旅行者で溢れていた、4時過ぎに来た列車は、立ち位置も違い、
地面から直接デッキに乗らなければいけないもので、完全にimpossible で 諦めた。
次に来た列車にようやく乗ったが、あらかたこの前のに、殆どの乗客が乗り、空いていて
座れたが、今度は、木の座席で、女性陣は、すわり心地は悪かったでしょう。
帰りは、スピード速く良かったが、中央駅に近づくにつれ、遅くなり、着いた時点では、すっかり暗くなり、帰りの食事は、ファランポーから2つ目の バンコク地場資本の
トップランクの ジュシタニホテルでの宮廷料理とのことで、二の返事でホテルのテーブルについた。 食事も優雅で、ワインが胃に沁みた。priceは少々 高かったが、カッコよくサインしたレシートは、失くしてしまった。 そんなわけで、かくも贅沢な一日を過ごし、一同家路を急いだのであった。
バンコクで最初の朝が明けた。
あまりに赤い太陽が大きな窓から差し込む、早速 いつもの様に、
S氏に声をかけ、近辺を歩く。
ホテルは、敷地も広く、きれいである、朝も早くから車が疾走し、歩道橋を
渡りながら、店の通りを見出すが、公園が近くになく、殺風景ではある。
朝食は、7時半を過ぎて、皆でテーブルにつく。
M氏の顔色もよく、盛りだくさんのバイキングスタイルの中、宿泊客も多く、
シーリアル、牛乳、トマトジュース、お粥と前半食べ、その他の
野菜、ベーコン、オムレツ(その場での調理)、トーストとたっぷり食べる。
女性軍もしっかり食べて、満足感があり、朝食はホテル代に included.
ゆったりの食事のあと、近くの rachadapiesk 駅に、ホテル近くの河のあたりにたむろするタクシーを振り切り、ゆっくりと歩く。
頗る早いエスカレーターに乗りつつ、改札に立つ。
早速 I氏に教わった方法で、プラ製の黒い碁石の様なチップを使い、改札を通る。
親切なスタッフの教えてもらった リフトを活用して、プラットホームに立つ。
二重の扉になっていて、電車が来ないと開かない最新式。
地下鉄は、何故か 厳戒態勢で、係官にいるゲートを通り、異物検査をしている。
終着のファランポーン駅で降り、駅周辺の案内者に聞くと、王宮は、本日 午後2:00からとかで、急遽 アユタヤ訪問に切り替え、中央駅で、一人B15の切符を買い、
待つ間もなく、乗れるとかで、先にチェックして、乗車することになる。
この列車へのタラップが高く、暫し躊躇うが、S氏が上からM氏を後ろ向きにして、
両腕を差し込み、一気に2段 引っ張りあげたのには、恐れ入った。
その体力の余韻もあるうち、2人づつ別にビニール製のシートに腰掛ける。
11:00 過ぎの定時に、低いプラっとホームから、列車が出る。
車窓から市内を過ぎ、暫くして眼下、線路脇に、スラム的人家が軒を連ねる、
3度目の光景だが、貧しい生活を垣間見る。
田園風景を車窓にしながら、S氏が ビデオを撮り、1時間40分位で、目的の
のんびりしたアユタヤ駅に到着する。
構内、プラットホーム、駅舎の入り口からの景色と 以前と何も変わらない。
女性達が用を済ませんている間にも、帰りの切符購入の折衝、ツゥクツゥクの
運転手の交渉と矢継ぎ早に済ませ、背を向けたら最終妥協price が出たので、OKし、
お仲間を呼ぶ、乗ることになった車(三輪ミゼット)は、特に小さく、屋根が頭に
つかえる程であったが、M氏が上がって乗るのに、また一苦労だが、小さい事が幸いして、
腰を掛け、足を上にあげ、移動する事で納まり、まあ 彼等も他の快適な味を知らないので、それはそれで、外から風を受け、オンボロ車は行くであった。
橋を越えると アユタヤの遺跡のある地区で、最初の遺跡や祭ってある神を拝み、
3か所目に、最も 壮大な遺跡群を歩く、遺跡は、ヒンズー教までさかのぼって、
古式蒼然としたというか、赤茶けた色を年代につれて黒くした、100年単位で年月を積み重ねた様相で、殆ど 手つかずの そのままっといった感じで、ここだけが価値ある空気と空間の場所であった。
途中 B20で食べれる ココナツを、2つで4人で飲み、底をスプーンでさらえた果肉が
妙に食べやすかった。
2時間B400で、3か所であったが、不思議な事に、前回1時間で、更に 山田長政の記念館まで廻った事を思うと、相当早足で回ったのだろう。三輪を走り廻らせていた印象のみ残るが、受けた印象は、変わらない。
今回2度目で、2006年に見た世界遺産、アンコールワットの遺跡があまりに広大な地域で、精緻に過ぎた為、重くはのしかからなかったが、友と静かに歩いた16世紀の地は、
特別な異空間であった。
最初に、東南アジアの遺跡を見た、友人たちの受けた印象は、いかばかりであったろう。
帰りのプラっトホームは、旅行者で溢れていた、4時過ぎに来た列車は、立ち位置も違い、
地面から直接デッキに乗らなければいけないもので、完全にimpossible で 諦めた。
次に来た列車にようやく乗ったが、あらかたこの前のに、殆どの乗客が乗り、空いていて
座れたが、今度は、木の座席で、女性陣は、すわり心地は悪かったでしょう。
帰りは、スピード速く良かったが、中央駅に近づくにつれ、遅くなり、着いた時点では、すっかり暗くなり、帰りの食事は、ファランポーから2つ目の バンコク地場資本の
トップランクの ジュシタニホテルでの宮廷料理とのことで、二の返事でホテルのテーブルについた。 食事も優雅で、ワインが胃に沁みた。priceは少々 高かったが、カッコよくサインしたレシートは、失くしてしまった。 そんなわけで、かくも贅沢な一日を過ごし、一同家路を急いだのであった。