2011年10月14日

コスタリカの旅 2

4.24

現地初めてのツアーに出かける。

朝6時起床、7時にホテル前に、pick up 、

2箇所ホテルを回り、holiday inn でdominica の若いカップル、

別の大きなホテルでは、米国人・看護婦の小母さん(現地の病院で、看護婦を指導)

と集め、英語の上手な男性ガイドがつき、トランスアメリカの快適な道路を走る。

まずは、コーヒー園で、コーヒの実を見せながら、ジョークも入れながら詳しい説明、

大変hillyな所で、山中に盆地のsan joseがある、周囲全て緑と環境はい。

コーヒーは数年で実がなり、収穫の後は、休ませ、イチゴを作ったりしている。

収穫には、ニカラグア人の安い労働力が支えている。一日$20を稼ぎ、半分仕送り。

現地では、$100 /月の賃金。

季節労働で、今は仕事はない。

途中の小さな土産物屋で、銀色の袋に入ったここでしか買えないいいコーヒ−を買う。


次に 火山の火口を見に、高地をバスが上る、高地は寒くて、上にレインコートがいる、

下が半パンだったのが悔やまれる。火口付近は、霧が出ていて、雄大な火口は、全く見えず、たくさんの見物客は、霧を見下ろすばかり。

ガイドさんから かんばんの絵を見て説明を受ける。


その後、楽園のような植物園に入る。色とりどりの鳥や花を見ながら、遠くの山々を見ていると正に天国。

ナマケモノ、ジャガー、山猫、white face のサル、毒がエル、植物・昆虫と見ていると、種類・植物の品種と多さに驚く。

そこで食事をとる、バイキングでしっかり食べる。


次に 水量の多い滝を見る、箕面の滝位だが、滝が落ちる間際まで立っていけるので

迫力がある。

熱帯で高地の独特の風景を見ながら下りを歩いたあと、昔のバスが待っていて、

まとめて元のレストランのある所まで上がってくれる。

そこから帰る事になるが、途中の道が地震で崩れたところだと説明があった。

3時半位に現地を出て、5時半位にホテルに戻った。Door to door がいい。

看護婦のおばちゃん、ドミニカの夫婦、老夫婦と下し、最後にapartotel。

夕食はカレーで、その後やっと便が普通に出る。洗濯、食後の片づけ。明日の打合せで

あっという間に24日は終わる。




 001 (120) 4 in one rest all











 001 (153) inco 2 001 (151) inco 001 (150) inco on my hand







 001 (149) 4 in 1 inco in hand 001 (146) eagle 4 in 1 001 (143) 4 in 1 paradiso near







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 001 (125) 4 in 1 001 (124) 4 in 1 001 (121)lunch 4 in 1







 001 (122) 4 in 1 001 (154) inco 3

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2011年09月19日

中米、コスタリカへの旅 1

4.21

1:20pm 自宅を出る。

今回初めて(急行)特急で、岸和田⇒急行→空港とラピ―トなしの旅の出発。

何等日常と変わらない空気の中で、車中、眠たく、電車も揺れ日記も書きにくい。

前の席には、サラリーマン、普通のおばちゃんが座っていて、未だ旅行モードにならない。

かなり前から荷物の準備をしていたので、思い出す度、小物を入れる、結局は、いつもの

片バンドリュックに貴重品、紙幣は直封筒に。

空港に着くと、旅行モードと思いきや、あまりの閑散さに拍子抜け、友人も未だ来ない

3:20pm, 震災の影響でしょうか。


4.21 (現地)

11時間位でシアトル着。席は空いていたので、K氏と座席3列の所で、彼が起きたところで眠ったので、2hは眠る。

現地12時位に到着、荷物がthru になっているかチェック。

空港内で、pcを使った check-in を、女性がアシストしており、その確認をしてもらった

お陰で、あっという間に、Atlanta, San jose とスムーズに行く。

最近のサービスなのか、旅客がそのあたりに集まっていた。


税関チェックの後、すぐにモノレールかtram に乗れた。

米国での検査は非常に厳しく、手荷物のチェック、指のチェック、目を撮影と、

手間取る。その前の税関も、靴を脱ぎ、ベルトを外し、金属は全てトレー、

チュ−ブのクリーム状のボトルも10g程度以上の大きなものは没収。

挟みが一つ取り上げられた。

シアトルのtramから見る、highway は、やはり米国、車線が多く、走っている車は、流れるようである。

中心近くで下車、何故かバスを乗り継ぐ、中心街を端まで歩いてみたが、往復1時間程度の小さな街に見える。

アップダウンがあり、下側の海を街角で目にするとかなり良い。

観光ボートの乗船場で、しばらくベンチに座り話をする。

少しクルージングするのもいいが、肌寒い、シアトルは寒い。


海沿いのレストランの一つで、カニを食べる。

愛想のいいボーイが、上手に食事を薦めてくる、こういうサービス業も気の利いた人が

やはり稼ぐのだろうか。

少なめに注文して、カニの甲羅を木槌で叩いて食べるパフォーマンスである。

二食を一食にして、4時頃、スープを頼んでカニを食す。まずまずだが量が少ない。

その後あたりを歩くと、safeco field が目に入り、見に行くこととする。

運よくgameがあり、スタートまで時間があるが、入ってみようという事になる。

入場料は、$15.−以上だが、cheapest one? と思いきって聞いて見ると$7.-と

立ち見のようなのがあり、買って入る。

意外にこじんまりしている、この程度なのかと思う。

練習中だが、フィールドは、きれいでかなり近く見える。

運よく イチローも遠目に見え、55番の松井も見えた、かなりラッキー。

ただ寒い、フライトの時間もあり、試合が始まり1回のみ見る、アスレチックス松井は打順に入っていない、ichiro 凡打で、切り上げる、球場をあとにして、だけど

本場のHotdog 食べたかったな。ウインナーが少し長い。

またtram に乗り、空港に入る。

入国検査は長蛇の列で、アトランタの便が少ないのではとの推測、ようやく検査終わったあと、間違ってexitに出てしまい、気がついて、一歩入ったあと、

係りの人に言うと “No!” の一言で、また入口から 入国検査で、顔がわかった

検査官は、一人の人が2度検査した人は初めて、と言われた。

厳しい手荷物検査をまたして、やっと搭乗口へ。因みに どこで間違ったか確認、

お陰でこの空港のパターンが良くわかった。

食事が出ない事を考えて食事をとるが、udon という事で和食を選択したが、

カン麺の様な硬くて、食感の悪い上手くない、出汁が濃すぎるうどんで、かなり捨てた。$7.50

2度検査した事で、待ち会いのgate に着くと、まもなく搭乗が始まった。

12時間待ちだったが、あっという間でもある。

アトランタへの便は、ほぼ満席で、ビジネスマンが多く、荷物も多かった。殆ど米国人の国内出張、移動だが、太平洋岸の北部都市から南部の西よりジョージア州ということで、

比較的遠い移動で、4時間半後到着。中々眠れないものだ。

離陸後すぐ眠るか、話でもしているかでないと、座席の前にモニターもなく時間が経たない。今回何も本を持ってこなかったので時間が経たない、食事もでない。

6:30amに到着。空港内は大きく、美しい。未だ暗く夏時間のようである。


アトランタは、DELTAの本拠地で、創立70年と表示されている、ここからは中南米の香りもする。

食事が出なかったので、朝食を軽くとるつもりが、サンドイッチは大きく$10.25もした、

K氏はサラダも頼んだが、価格は殆ど変わらず、ボリュームは多い。

水$1.-とセットで食す。

Baggage claim も特に問題なく、モニター(かなりの便がある)でフライト確認して、

Gate まで行く、あと2時間以内で、コスタリカに向けて離陸。

コスタリカは目的地なので、やれやれである。遠い。

通関で、H氏の荷物(竹刀)が未着、紛失の届けをして(数日後ホテルに届けるとの事)

手続きをすませる。

即終わり、出口を出て、すぐタクシーに、感じのいい人で、当局の管理者のような人にok をとり、ホテルにスムーズにcheck-in.

道路は快適、空港内で、各自$100.-ずつ両替した($/colon490) コロンで、4,960.-

1000 のチップで、6000 支払う。

こじんまりしたカウンターで、confirmation sheet を示すと、$85.-/day の部屋が空いてないという事で、別の広い部屋を用意してくれる。4日間その部屋を使用して、後はまた

引っ越しである。ゆったりしていい部屋なので、交渉して安くなるなら、この部屋にしようかと話し合う。

7日分$85. X 7 =$595 x c510= c305,830.-を請求される、前金である、rateが空港と違うが、カードで支払う。あと9日分である事を確認して部屋に入る。

どのレートが正しいかわからないので、ホテルでは交渉をやめる。

コロンで引き落としされると、レートが高いとコロンでは安くなる様に思うが。

(結果として、$85.−の¥85.- 位で、帰国後即、分割で請求が来ていた。レートも意味がない、不在時も、通しで引かれていた。)

部屋で かなりこの計算をしたが、意味はなかった。


K,Hの両氏は、twin bed の部屋、私は シングルで別部屋と快適。

Safety box を借りて、貴重品を部屋の金庫に入れておく。$3.-/day.

計$12.- 4日分のみ別途cashで。

本日は、疲れているので、持参の食糧・調味料、調理用具を出し整理し、近くのモールに出かけて、買って帰る中華料理のチェックをする。

色々なコンビネーションを尋ねるが、スペイン語のみでクリアにはわからない。

Food floor で、後で買うが、焼き飯c1300 x 2 の予定が、2,3種の具を頼むと

C7000.-(=\1400)となり、物価水準からすると、高い。日本と変わらない。

あまり美味しくない、脂っこい中華を食べて、その日は、明日からの予定を立てて

寝る。湯がタンクからなくなると水になると、散々H氏から注意があり、最後に

シャワーを浴びるが、もう湯が出ない。Cの文字は、carriente と聞いたので、

Hをひねらなかったが、ここの表示は、英語で、cold & hot であった。

応用利かさないと。









seatle tramSEATLE







SEATLE farmersseatle

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2009年11月17日

バンコクの旅 no.4

CIMG0050 群集とパゴダCIMG0051 宝石の装飾柱








CIMG0048 王宮 pagoda gold gildedCIMG0052 金の5頭<








11月2日
最終日に やっと目的の王宮を訪ねる事になる。
皆も期待しての訪問でしょう、広大な通りを車で走り、王宮の入り口に入ると、
大変な人で、そこは都会である、easy food restaurant, travel agency, bank,
所持金なくても、銀行で、カードから出勤して、幾らでも使える仕組みである。

入場料もB350 と当地では、破格である。
建物にさしかかる前に、テントに軍隊が駐在して検閲する ものものしさである。

いよいよ広大な敷地の 最初の建物群に出くわす、黄金の巨大な仏塔(pagoda)には、
目を見張らされるであろう。周囲の建物の柱に、埋め込まれた宝石のちりばまられた
様子は、富を集めた繁栄を表している。

仏像、パゴダとともに、金箔が剥がれと、次々 その上から惜しげもなく金箔を新たに
貼っていき、常に黄金色に燦然と輝くのが、仏教と権威の象徴であり、
中国、朝鮮と離れて、海を隔てて、独自の仏教文化が花開いた日本とは、違っている。

できるだけ長く その御利益のあるgold の中にいて、その周りの壁画を見る。
壁画にも、金箔がはられていて、侍階級、貴族、王、庶民、動物(象)と描かれていて
修復師が、3人位で、修復中であった。
皆さんには、アンコールワットの広大な壁のレリーフを見せたい位で、絵と違い 壁への
彫刻も立体的で、徐々に、東南アジアの至宝がわかるようになってくる。

建物に張り付いている、不動の衛兵を、目にしながら、銃器、剣の展示館を2か所見て
整備された美しい中庭をあとに、タクシー、地下鉄を乗り継ぎ、ホテルに戻り、
2:30になった事をホテルマンに告げ、許可を取り、部屋の荷物を階下に移動し、
荷物を一時預かりしてもらい、遅い昼食をとる。
まだ 時間もたっぷりあるので、カルフールに車で行き、タイの物産を購入し、ホテルに戻り、夕闇迫る スワンナップ空港に一路急ぐ、たっぷり時間もあり、chcek in も8時位に済ませ、手ぶらになって、軽い夕食も済まる。壮大な空港内は各国の沢山の人が行きかい、人いきれで疲れるので、早く入管手続きを終え、非関税の空港内で最後の買い物。

11時のtake off に向けて、最後に乗り込むが、また地上からのタラップとなり、
1st, business class から、一段一段踏みしめながら、スワンナップの機上の人となる。
席も指定どおりで、足も延ばせ、隣に座ったビジネスマンと安心感から久々に仕事会話にんだ。 


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2009年11月12日

bangkok no.3

CIMG0033shower booth separatedCIMG0035 wash room








washing room/ separate shower booth
chaophya park hotel


11月1日(日)

朝 いつものようにゆったりと食事すると、朝一番に チャトゥチャック市場の
朝市で、買い物をしたいとの要望が出る。私は空のリュックを持参することした。これが、結局役に立ち、大量に押し込めた。

それでは、即 もうタクシーで行って、戻ろうということにして、(遠くないので)場所を、フロントマンにタクシーの運転手に伝えてもらい、即 right place に到着、大変な人で、一般の地元の人が多いとかで、日曜日で賑わっていた。鶴橋の様なところでしょうか。

そこでは、シルクの生地、スカーフを、2人の姉妹は、B4000も、大量に買い、
4ヤードB400とかで、誠実そうなインド商人から買う。シルクが値打ちであろう。
大きな塔が目印で、早速バーツが不足して、1万バーツを交換。

ホテルに戻り、昼食をとり、少しゆっくりして、王宮に行くことにする。
折角持参の海パンで、プールに、さっと着替えて、20分位 しっかり泳いだ、泳いだ後、デッキチェアでゆっくりすわっているのも、気持ちがいい。

いざ またファランポーに行き、駅員、駅の外のスタッフに聞くと、出発が遅く、3;30pm までの入場となり、1時間程度しかなく、急遽変更して、
人のいい中年の伯父さんのタクシーに頼み(スタッフに伝えてもらう→この方策がいい)ジムトンプソンの家に行く。今日は休みかもの案内もあり、心配したが、M氏が家の日本語表示をすばやく見つけて、渋滞の中 車を降り、徒歩で ジムトンプソンの屋敷に着く、そこには、沢山の観光客がいて、シルクのショップもあり、open であった。

そこでガイドをしてくれる女性の日本語の丁寧さは、格別で、知性の高さを思わせた。
説明を受けてる若い日本の女性達の質が悪く、行儀もことば使いも悪く、叱り飛ばしたい
のを我慢した。 ジムトンプソンは、タイシルクを欧米に知らしめた人という事と国王の妹が目をかけた人で、住まいは、ユニークなタイ伝統の材質、建築に合理的なものを組み合わせた別荘のようなものであった。
女性には、人気の場所。

そこから夜のチャオプラヤ川のナイトクルーズ(B1500/人)に参加のため、少し 早いが
タクシーを走らせた。メータータクシーでなかったが、M氏の足の負担もあり、即乗車できるにこした事はなく、交渉は以降は早く切り上げた。
運転手の早合点で違う乗り場に着き、確認を数度して、もっと大きな場所に移動してもらうと、そこが目当ての波止場で、観光客が既に沢山待ち構えていた。
ホテルを通じて 少し高いが、先に押さえてもらったせいもあり、チケット売り場に行き、名前を告げると相手はすぐに確認してくれた。 B3000 の支払いって事になり、
一瞬 頭が混乱した、安くなったのか?計算では、6000だが。聞いてみると、既に3000 カードから引き落としているとの事で、強く抗議した。相手はあまり気にしていない風で、こんな経験は初めてで、ホテルの予約で、credit card を見せ No. を tel していたが、彼等の説明不足ではある。

こういう会社は、金銭には、かなりしっかりしている印象を受けた。
乗船までに時間もあり、ホテルの小さなショップで、シルクの jacket を女性軍が買うのに参加、其のうち時間となり、今度は少し労力をかけ、一歩ずつステップを上がり、乗船する。

夜の川岸は、イルミネーションも賑やかで、華やかな装いで、気分は高揚する。
欧米人は、こんな雰囲気が好きである、我々の席は、keep されていて、最初は
ゆったりしていたが、アルコールも有料で、料理もバイキング形式だが、今ひとつで、
それでも、歌手が歌い、演奏があり、伝統ダンスも少し見れ、対岸の寺院のイルミネーションが見えると、かなり幻想的になり、クルーズの雰囲気がでる。
テーブルに、ホテルのmessageがあり、先般のB3000 の先払いが記載されていた。
I got it.

後半、食事が済めば、手持ちぶたさで、上の甲板が騒がしいので、上がって見ると、
オープンな船の上にテーブルが並び、その少しの空間で、演奏と歌手が移動し
賑やかに歌い、踊っている。 上のほうが、全方向の景色、イルミネーションが見れて
クルーズに浸れる。Mさんが、もう一段上がるには、また降りる事を考えると、踊り場が
狭くて大変である、でも見せてあげたかった光景でもあった。

テーブルから離れて、Mさんも 川の風を受けながら、灯りに見入っているのが
印象的で、寺院、王宮のライトアップは圧巻で、思わず声が上がった。

狂ったような音楽と踊りの興奮が冷めないまま元の波止場に戻った。
宴は終わった。 こんなもんである、演奏を聴きながら、景色を見るだけの方が
valueがある気がした。

よく楽しんだ一日は、いつの間にか地下鉄も乗り越し、終点の暗い郊外から 余計な
タクシーにも乗り、無事ホテルについた。
無事なれば良し。夜はいつも出歩かないので、刺激的な経験をした。
CIMG0048 王宮 pagoda gold gilded




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2009年11月11日

bangkok の 旅 no.2

oct.31, 2009
バンコクで最初の朝が明けた。
あまりに赤い太陽が大きな窓から差し込む、早速 いつもの様に、
S氏に声をかけ、近辺を歩く。
ホテルは、敷地も広く、きれいである、朝も早くから車が疾走し、歩道橋を
渡りながら、店の通りを見出すが、公園が近くになく、殺風景ではある。

朝食は、7時半を過ぎて、皆でテーブルにつく。
M氏の顔色もよく、盛りだくさんのバイキングスタイルの中、宿泊客も多く、
シーリアル、牛乳、トマトジュース、お粥と前半食べ、その他の
野菜、ベーコン、オムレツ(その場での調理)、トーストとたっぷり食べる。
女性軍もしっかり食べて、満足感があり、朝食はホテル代に included.

ゆったりの食事のあと、近くの rachadapiesk 駅に、ホテル近くの河のあたりにたむろするタクシーを振り切り、ゆっくりと歩く。
頗る早いエスカレーターに乗りつつ、改札に立つ。
早速 I氏に教わった方法で、プラ製の黒い碁石の様なチップを使い、改札を通る。
親切なスタッフの教えてもらった リフトを活用して、プラットホームに立つ。
二重の扉になっていて、電車が来ないと開かない最新式。

地下鉄は、何故か 厳戒態勢で、係官にいるゲートを通り、異物検査をしている。

終着のファランポーン駅で降り、駅周辺の案内者に聞くと、王宮は、本日 午後2:00からとかで、急遽 アユタヤ訪問に切り替え、中央駅で、一人B15の切符を買い、
待つ間もなく、乗れるとかで、先にチェックして、乗車することになる。
この列車へのタラップが高く、暫し躊躇うが、S氏が上からM氏を後ろ向きにして、
両腕を差し込み、一気に2段 引っ張りあげたのには、恐れ入った。

その体力の余韻もあるうち、2人づつ別にビニール製のシートに腰掛ける。
11:00 過ぎの定時に、低いプラっとホームから、列車が出る。
車窓から市内を過ぎ、暫くして眼下、線路脇に、スラム的人家が軒を連ねる、
3度目の光景だが、貧しい生活を垣間見る。
田園風景を車窓にしながら、S氏が ビデオを撮り、1時間40分位で、目的の
のんびりしたアユタヤ駅に到着する。

構内、プラットホーム、駅舎の入り口からの景色と 以前と何も変わらない。
女性達が用を済ませんている間にも、帰りの切符購入の折衝、ツゥクツゥクの
運転手の交渉と矢継ぎ早に済ませ、背を向けたら最終妥協price が出たので、OKし、
お仲間を呼ぶ、乗ることになった車(三輪ミゼット)は、特に小さく、屋根が頭に
つかえる程であったが、M氏が上がって乗るのに、また一苦労だが、小さい事が幸いして、
腰を掛け、足を上にあげ、移動する事で納まり、まあ 彼等も他の快適な味を知らないので、それはそれで、外から風を受け、オンボロ車は行くであった。

橋を越えると アユタヤの遺跡のある地区で、最初の遺跡や祭ってある神を拝み、
3か所目に、最も 壮大な遺跡群を歩く、遺跡は、ヒンズー教までさかのぼって、
古式蒼然としたというか、赤茶けた色を年代につれて黒くした、100年単位で年月を積み重ねた様相で、殆ど 手つかずの そのままっといった感じで、ここだけが価値ある空気と空間の場所であった。

途中 B20で食べれる ココナツを、2つで4人で飲み、底をスプーンでさらえた果肉が
妙に食べやすかった。

2時間B400で、3か所であったが、不思議な事に、前回1時間で、更に 山田長政の記念館まで廻った事を思うと、相当早足で回ったのだろう。三輪を走り廻らせていた印象のみ残るが、受けた印象は、変わらない。

今回2度目で、2006年に見た世界遺産、アンコールワットの遺跡があまりに広大な地域で、精緻に過ぎた為、重くはのしかからなかったが、友と静かに歩いた16世紀の地は、
特別な異空間であった。
最初に、東南アジアの遺跡を見た、友人たちの受けた印象は、いかばかりであったろう。

帰りのプラっトホームは、旅行者で溢れていた、4時過ぎに来た列車は、立ち位置も違い、
地面から直接デッキに乗らなければいけないもので、完全にimpossible で 諦めた。

次に来た列車にようやく乗ったが、あらかたこの前のに、殆どの乗客が乗り、空いていて
座れたが、今度は、木の座席で、女性陣は、すわり心地は悪かったでしょう。

帰りは、スピード速く良かったが、中央駅に近づくにつれ、遅くなり、着いた時点では、すっかり暗くなり、帰りの食事は、ファランポーから2つ目の バンコク地場資本の
トップランクの ジュシタニホテルでの宮廷料理とのことで、二の返事でホテルのテーブルについた。 食事も優雅で、ワインが胃に沁みた。priceは少々 高かったが、カッコよくサインしたレシートは、失くしてしまった。 そんなわけで、かくも贅沢な一日を過ごし、一同家路を急いだのであった。


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bangkok first night

10月30日(金)2009.
朝 いつもより少し早く起き、オートミールとヨーグルトを食べ、昨夜パックした
バッグを担ぎ、普段着で桃山台まで行き、待つこと暫し、中国自動車道からバス
で合流した、友人S氏と地下鉄を乗り継ぎ、難波で、ラピートに乗り、空港まで。
4Fの中央案内所の待ち合わせを、間違え北ウイングの入り口から入ってしまう。

S氏が待つ間、外国で使える携帯電話の手続きをしにいく、まだ来ていないのを
おかしいなと思い、通路を中央よりに歩くと、2人連れの女性を見つけ、声をかけ落ち合う。
S氏が、戻ってすぐ、タイ航空のカウンターに行き、手続きを行う、
混んでもいなく、スムーズにチェックインするが、座席は決められているようで、
融通はきかない。軽食を2人が摂った後、通関検査、パスポート検査を受けた後、
早くも搭乗口のゲートで待つ。
スムーズに乗り込み、トイレのすぐ近くの後尾の席に、並び、M氏の足下が、伸ばした
状態でも 少しゆとりがあり、良かった。

ワインを少し飲んだのが良くなく、Mさんは、気持ちが悪い様子であった。
着陸は、通常より早く着いた事もあり、gangway のwing でなく、タラップとなった。
‘これは 困った 降りられない、ステップが多すぎる。
機内スタッフと交渉し、自動の箱になった、エレベーターを引っ張ってきてくれ、
建物近くの地上までつけてもらう。これは便利である。
スタッフの好意で、スムーズに建物に入れ、税関のパスも殆ど待たずに、私とM氏は、スワナップ空港に入国となる。

あとの2人が並んで、入国パスした時点で、すぐ近くのmoney changer (bank)で2万円、
B7000を交換。
ネットで調べたタクシーの受付は、出たらすぐあるが、価格がB1200と怪しい。
暫く待たせ、カウンターで聞いた1Fに降り、状況を見て やっとわかる、
カウンターといっても、デスク一つで、何やら紙切れに書いてわたしている おばちゃんがいる、あれこれ話すと、きっとこれに違いないと思い、2Fから友人3人を呼び、列に並び、何か もわーと暑い、半袖でないとやれない空気の中、元気なおっさんのタクシー
(メータータクシー)に乗り込む、高速は快適で早く、運ちゃんの調子もよく、歌うように、踊るように、機嫌よくハンドルをとる。市内の境界が近付くと、急に渋滞となり、
1時間以上かかって、ようやくホテルにたどり着く。

割安との事で、期待していなかったホテルがロビーが大きく、3人の女性の声が歓声に変わった。カウンターで声をかけると、‘you mr.watanabe’ と来る。’how did you know?’
岩田氏が隅のロビーで待ってくれていた。
相変わらずの優しい笑顔である。
6Fの部屋に上がると、Mさんのベッドが低いとの事で、その高さだと、隅からヒョイとは立てない。メッドメーキングの可愛い女性とフロントの3元電話で、了解をとり、
自分の部屋のベッドを運び入れ、重ねるも 今度は高すぎる、そこで、スペアのベッドが
小さいので、それと上のベッドを取り換え、橋を揃え、やっと治まる。

確かに 欧州だと、もう少し高く、イメージは理解できる。
岩田氏の案内でタイすきにでかけるも、Mさんは、調子悪く、部屋で寝ているとの事で、
気の毒になる。

初めての地下鉄の切符の購入方法を岩田氏から伝授してもらい、自分で各自購入し、
改札を入り、電車にのる。駅はラーマ9世で、すぐ近くの大きなビルに入り、
お腹がすいた3人が、待ちかねたタイすきを、どんどん食べ、追加の野菜も多く、
雑炊食べる前に満腹になる、別皿の中華風のこってりしたソースのカモ肉が
食べ応えがあった。以前にも連れてきてもらったMKのチェーン店だが、
4人で、B1300 バンコクでは、家族で、月一度位しかこれない、レベルとの話で、
豊かになったようである。ここは清潔で、客が多かった。

帰りは、ホテルまで送ってもらい、夜道の確認ができた。
部屋に戻り、下着を洗いにつけ、シャワーを浴び、干しものをし終えると
今日を振り返ることなく バタンキューで、バンコクの最初の夜は消えていく。

HI3A0045 ラピート







nabeCIMG0036ladies in subway







CIMG0030 食事中 mkiCIMG0031ladies in meal










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2009年11月09日

友と行く バンコクの旅行き

10.30 - 11.3

その旅は、スワナップ空港に着くや、タラップが降り、待つこと暫し
特別に、移動式エレベータの箱の出迎えを受け、暖かい大地に着くこととなる。

また新たにできた広大な空港、整備された地下鉄網と補足の高架トレイン、
広い道を、カラフルに彩られた夥しいタクシーが疾走する街、高層ビルの林立、

貧富の差を感じさせるファランポン駅からの鉄道に沿ったスラムと高級なホテルと高級車、眠らない夜の街バンコクは、急速に成長した経済と長い歴史が混在した、人の香りのするエネルギッシュな街である。

この度は、足の不自由な友といたからこその、交通機関のスタッフや人々のやさしさを感じた旅であった。

CIMG0020機内CIMG0054 hotel bar










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2009年08月02日

指宿への旅 part 3

7月20日

朝はゆっくり寝て、美味しい朝食を食し、2度目の指宿のprivate beach に 体を浸す。
鹿児島の海はいい。

10時まで滞在し、一路 鹿児島市内を目指し、桜島にわたる事となる。
フェリーで簡単に乗り、降りて、近いところで、溶岩を見て、島の中から桜島を
見る、西郷隆盛がいつも見ていたという。


帰りは、待ち時間がかかり、市内に戻り、覚えのある 城山公園から市内と桜島を
眼下に見て、市内の目抜き通りを通る、鹿児島市内は、大きい、
一路 宮崎に向かい、市内でほか弁を買い、今度は、フルの12人部屋で、過ごすも
他人ばかりの為、9時前にベッドに入り、いつの間にか 寝てしまい、この1,2年で珍しく、朝まで寝ていた。妻に起こされ、デッキにたつと、もう大阪が近い。

今回の旅は、フェリー会社が、高速道路と対抗し、ホテルとフェリーセットで、
往復 1人 ¥1.9万、車 2万という事で、10万以内で収まったのが良かった。


HI3A0171指宿休暇村の朝食HI3A0173FERRY  内HI3A0176桜島






HI3A0182島からの景色1thru tunnelHI3A0179ガイドと民家風HI3A0180桜島& me





HI3A0181sakurajima itselfHI3A0178桜島より海岸を望む





HI3A0188叫びの肖像HI3A0185桜島の記念碑HI3A0183溶岩

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指宿への家族旅 (july 18−21, 2009)

7月18日

今年は、息子の希望で鹿児島へ、特に指宿へ、
今回は、妻と私は、出発当日休みをとり、ゆったりと出発まで家で過ごした。
4時過ぎに、家を車で出て、新御堂→本町通→川口左折→トンネル→南港フェリーターミナルに向かう、南港は広すぎて、方向位置がわからない。

こじんまりした乗場に着き、待つこと暫しで、乗船客も少なく、6:00pmきっかりに、車で乗り込む。

部屋は、12人部屋だが、3人のみの個室状態となり快適で、
早速 一人 風呂につかりに行く。

HI3A0152フェリー(南港→宮崎)




息子は、調子悪く 2人だけで 夕食バイキングへ
彼にはヌードルを差し入れ。
夜のフェリーは、いい 開放感がある。

HI3A0154出航HI3A0157宮崎港HI3A0158宮崎港 2














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2009年07月28日

taipei june 11-16, 2009

6月15日(月)


今日一日で 台北も終わり。

また ゆっくり朝食をとり、少し雲行きの悪い中、バスで、総督府に行く。
威厳がある建物であり、日本人の設計、建築による。
警護が厳しい。バッグ等を預けると、内部は、80歳の老人が日本語で丁寧に説明して
くれた。彼は戦前の軍隊の教育が好きですと言っておられた。
歴代の日本の総督の写真が飾られていて、朝鮮と同様 地位は重いものだったに違いない。
朝鮮、台湾、千島列島、南樺太とあれば、地域も多様で、職域も広く、統治するのも
大変で、資源も豊富で、随分 ちんまりした今とは 違ったものであったろう と説明を
聞きながら 昔に思いを馳せた。


昼に また ティンタイフォンで ショウロンポーを食す、平日の昼も待っている人が多いのに驚いた。

其の後、H氏は、買い物、我々は別途ホテルに帰る、近辺を散歩、散髪屋に行く、
カットのみで nt$600 で安くはないが、半分眠っていた。時計は nt$350 で時計屋で買う。

夕方 S氏がホテルに来訪、我々を憧れの 重厚な 圓山大飯店に招待。
最高のホテルで、ゆったりとして食し、素晴らしいという夜景を見て、

夜遅く、更には 陽明山からの更なるmillion dollar 夜景を見て、慕情の 場面のような
場所をあとにして、零時過ぎにホテルに戻ろ。

最後に 銘茶を頂き、至れり尽くせりのS氏と別れる。

もう こんなのないでしょう。

気楽に 家族で来てもいい。


一部屋 \6200 で 5泊しても、一人¥15000.- も助かる。
おまけに 朝食のバイキングがサービスは、good.
唯 伝統あるこのホテルも古い、昼間見ると、老朽化していた。


日本の様な 台北、日本にない、中華料理、南国の 香りが漂う。
何度行っても嫌にならない台湾。




HI3A0104台湾総督府HI3A0109店前の本人HI3A0110建物横






HI3A0111圓山大飯店 S氏とHI3A0117玄関の花と本人(圓山)HI3A0118圓山 玄関







HI3A0119玄関と花HI3A0120玄関の金龍HI3A0123圓山のレストラン






HI3A0124 陽明山からHI3A0121車口からの淡水夜景

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taipei june 11-16, 2009

6月14日(日)


本日は、バスを乗り継ぎ、故宮博物院に行く。
余りに展示物が多く、一つにゆっくり時間をかけていると、時間がかかりすぎるって事で、
H氏の助言で、2時間で切り上げ、昼食に。4Fでゆっくり食し、いったんホテルに戻る。

有名な ショウロンポーを夕食にするとの事で、タクシーででかけたが、大変な人が
待っていた。人気店である。
30分位待つと、上にあがり、お待ちかねの、籠に入って、ショウロンポーが目の前に、
一籠に10個鎮座まします。それを ハフハフ 言いながら 食べる、美味い、
もう一籠、もう一籠、終わらない、飽きない 美味しさであった。
ショウロンポーと共に 台北の夜は更ける。明日も昼に を約束して。


HI3A0101 故宮博物院HI3A0102総督府までの 像HI3A0104台湾総督府






HI3A0106小籠包の店の看板HI3A0107多くの待ち客HI3A0109店前の本人





HI3A0110建物横

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taipei travel june 11-16

6月13日

新幹線の出発が昼過ぎ(午前中が全てフル、安い時間帯で選択)の為、ゆっくりと
朝食をとり、台北駅へ、新幹線の車内は、日本の‘のぞみ’の少しゆったり版で、
違和感がなく、社内は綺麗。

台中あたりから雲行きが悪くなり、左営駅では、雷が鳴る雨で、暫く 駅でお茶を
飲むが、止まないので、タクシーを止めて、湖へ、虎と龍の大きな張り子があり、
適当に休み処がある。近くの寺と周りを回る以外、この雨では、どこへもいけない、
夜の市も諦めて、急いで、また駅に戻り 5:30には、左営を出て、台北へ。
雨、雨、雨 その日は 飲茶で人気のある 泊っているレオフーにて、夕食。
楽でいい。ここでも夕食を取りたかったので、良かった。
支払は、カードにて。

HI3A0080台湾新幹線HI3A0081車内HI3A0086高雄 澄清湖(チェンチンフー







HI3A0087湖と本人HI3A0088虎口を脱すHI3A0092九曲橋






HI3A0094寺の内部 黄金色HI3A0095仏塔HI3A0096孔子廟






HI3A0100通路 2

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2009年07月06日

taipei travel 6.11-16,2009

HI3A0066龍が飛ぶ
HI3A0064 境内 2HI3A0063龍山寺 境内
HI3A0062龍山寺HI3A0059少女の訓練風景HI3A0058大記念館広場
HI3A0057記念館 天井の装飾HI3A0060記念館遠望
HI3A0051大忠門(中山記念館)HI3A0048ソフトドリンクHI3A0041 101からの市内眺望
HI3A0046ビルの耐震装置HI3A0040台北101 下から

6月12日(金)

水 2l : NT$25 ( 2 リットル) を持参して、豪華なfreeの
朝食バイキングをゆっくり食べて
バスで、#206 NT$15、bus で 台北101 へ行く
市内は、バスが安くて、優先道路でもあり、本数も多く安い、
駅名は、漢字で 確認はしやすい、発音が違うが。

101 は、予想を超える高さで、入場料 nt$400 は、少し高いが、
高速エレベーターは音もなく、快適で、アジアを代表するビルである。
日本も そのレベルのものがあってもいい、観光者が増えるでしょう。
自動音声の説明(有料)を聞き、周囲を見渡し、以外に小さい免振装置を見て、
工事のビデオを見ると 感心する。
休憩に、タピオカジュースを飲む。(nt$85)

地上に降り、世界貿易センターにある、S氏事務所を訪問、また 101に戻り、
87F で 社員の女性3名を含めて、素敵なランチを楽しむ。
明日の新幹線の切符購入のアドバイスを受け、

中山記念堂に 巨大な蒋介石の座像、衛兵を見、彼の偉大さを表した、
各国首脳との写真と説明を見て、改めて 戦争終結の会議から戦後までの歴史を
考えることになる。日本の要人が少なく、日本色が薄まっていて、日本統治の50年が
写真で残されていないのが残念である。

広場を行進する 若い人たちの 軍人のような行進を見て、暑さに疲れながら、

著名な 龍山寺を訪れる。小さな古いお寺だが、中では、人々が熱心に、膝まずいて
礼拝しているのが、印象に残った。
寺の屋根には、龍が沢山 空を飛ぼうとしているようであった。

龍山寺〜台北駅まで地下鉄に乗る、
駅で、前日券の購入を1Fコンビニ前で、購入 NT$1000/片道 x 2
高雄駅までの新幹線。
地下鉄は大きい、タクシーでホテルまで帰るが、NT$115(or 120)位。

夕食は、ハウツーメン NT$400 位で、庶民の人気店で、軽く食事、
どこでも 焼き飯が美味い。

普段 話さないような事を、こんな機会に話す、
洗濯もホテルに戻ると2度目 即 やり、日本のnews 等を見る、
同じホテルだと気楽である。






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2009年07月05日

taipei travel june 11-16, 2009

6月11日(木)

1昨年の9月の北アフリカ以来の海外へ。
といっても、台北は、日本の地方都市への感覚ではある。
9:20 家を軽装で出て、御堂筋線、難波からのラピートβに乗車、11時過ぎに
関空着、13:00 の ever air で、台北へ。

今回は、先輩H氏、K氏夫妻の4人の旅で、H氏がset up してくれ、
現地の行動sucheduleも組んでくれているので、楽な準備である。

中正(蒋介石)空港に、定時より早く 15:00 に到着ロビーへ、
かつてのL社 現地法人社長のS氏が、黒塗りのレクサスで迎えに来てくれる。
2005年に宿泊したレオフー(六福客桟)で5泊の為、気軽である。

ホテルで一服して、即 S氏が 兄弟飯店(brother hotel)で、紹興酒と
優雅な料理の接待を受け、一日目は、暮れてゆく



HI3A0029 桃園空港 出口

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2009年01月01日

青春鉄道旅行、冬の山陰を大晦日に

雪の山冬の鳥取砂丘







城崎温泉雪の智頭







青春列車の旅で 日本海へ2年ぶりに家族4人、大晦日ぐるり兵庫一週。

朝4時起き、5時に出て、駅近くの駐車場で車を停め、大阪駅発6:00PM 網干行き快速で、上郡、智頭線、鳥取砂丘、浜坂、城崎で温泉につかり、
夜の9時過ぎ大阪駅に舞い戻りました。

長男が離れているので、家族4人の気綱が強くなった気がします、
次男と私は、大方眠ってましたが。

智頭線は、別運賃(青春切符に含まれず)だが、鳥取まで一気に近くなった様です。
鳥取までの山岳部は、雪一色で、浜坂(夢千代日記)の街は、雪国。

砂丘は、寒く、窓の外は、灰色の雲が日本海に重くのしかかり、
食事と砂の美術館を見学して、早々に戻る。
浜阪を発ち、見所の餘部鉄橋を渡る時、立ち上がると 若い鉄ちゃん達も待ちかねたように立ち上がり歓声。
眼下には、一組の人がこちらにカメラを向けていた。上からでも十分高さを味わえた。

最後の愉しみの城崎温泉は、駅近くに温泉旅館があり、駅からすぐ
飛び込み、露天風呂で暖まれた。
旅館を出て振りかえると しっとりした温泉街が心に残った。

8:23 上郡
9:40 智頭
10:09 智頭(JR)
11:10 鳥取
13:34 "
14:24 浜坂
15:04 "
16:07 城崎
17:11 "
19:00 福知山
21;19 大阪

青春切符 ¥2300 x 5 pcs.
城崎からの帰り、特に福知山からが この旅の消化試合、忍耐強く



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2008年09月18日

国東半島の旅3

魔崖佛 (妻子)3b0f4bfc.jpg












7.19 19:50 六甲アイランド - 7.22 早朝南港 着 で、
家族で 国東半島に行きました。
船内2泊、 サンフラワーですが、行きのrenewal の船内が美しく、
部屋が、2人部屋、1人部屋と取れるのが、最近のstyle でいい。
夕食バイキングが結果 安くつく、つい取りすぎ、妻に叱られました。
次男は良かったようです。

夜の 明石大橋が 最高、 海水の風がここちよい。
日にちが取れるなら 

志布志(鹿児島) −鹿児島を満喫 − 宮崎を北走 − 阿蘇、九重 −
別府 〜 帰る のコースがいいでしょう。

net 予約で 20% less のみ、

安く 行くには、チケットショップで、関西汽船の株主優待を 一枚1000円で買い、
その足で、代理店で切符を買えば、5割引きとなり、結果4割引となり、
(1000円支払いの為)、綴りの未使用分は、買い取ってくれるとか、
チケット屋が何でも教えてくれます。(後に知る)
志布志は、5%割引のみですが、提携で適用うければ good,

車持参しましたが、レンタすれば、さらに割安となります。

熊野魔崖佛、国東半島の石仏を妻が見たいとの好みにより、行きました。
寺の門の仁王が、石でできているのが特徴だそうです。
小生は、ネット発注と情報とりと運転のみ
古代を思わせる地域で、悠久を感じます − 訪れる人少なし。

いい宿で 食事は食べきれない程ありました。
10年ぶり位の家族との長距離旅行でした。

半額で行ければ、また 来年行きたいですね。
船室

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2007年12月05日

─ラクダに乗って (9月12日)

日の出ラクダに乗って








9月12日
夜中寒くなり、マットを引っ張り、テントの中で寝る。
朝起きるとすぐ日の出を見に行く、鮮烈な感じではない。
朝食は、パンのみを食べ、迎えに来たラクダに乗り、隊商のように繋がれて
歩くのだが、砂丘の砂のみの中を通ると、まさに ‘月の砂漠を、はるばると−-’の世界である。最初はいい感じであるが、2時間歩くと長くて堪能する、というか、股を開いているせいで、その股の筋肉が痛くなり、降りたくなる。
最後砂漠の入り口で、ラクダが馬に驚き、逃げようとして隊列が乱れたが、K氏の冷静な制御で事なきを得た。待つ事暫し、4WDが来て、元のホテルまで戻る。
無償提供の部屋で着替えを済ませ、シャワーを浴びた。
意外とこの事に時間がかかり、12時近くになり、ガベス行きがなく、途中の街までしか
行かないってことだが、一緒の女性に引っ張られて、それにした。
人数が集まるまでルアージュは、走り出さない。スピードは速く、走ると涼しいが、
止ると暑い、割合早く途中までは行ったが、そこからガベスが集まらない。
‘gabez, gabez’ と男の連呼が聞こえるが、中々ルアージュの座席が埋まらない。
待つ事しばし、間にバナナを食べる、漸く走り出す。
結構スピードが速く、うとうとしていると、車が止った、何とガベスに着いた。
列車の発車の4時まで時間が1時間以上もあり、またもや若い女性の主導で、スタスタ
歩き出す、適当な店もなく、暑い中、漸く食べれそうなスタンドバーの様なのが見つかり
何やら挟んだフランスパンを食べる。大きすぎて、適当に切ってもらうが、ボリュームが
ある、一切れ残し、駅舎まで戻り、値段も安いので、一等って事になる。
4時にスタートし、途中海岸を見ている間は良かった、途中の駅で女性は降り、2人だけになり、暫くすると日が落ち、6時間以上かかり、10時半位に到着する。
途中 生命保険のお姉さん連中が隣の席で、延々喋くり、漸く駅につくが元気で、
こんなにも多くの人がこんな時間に列車で駅に着くのが不思議である。
夜は長い。タクシーを見つけて即乗り込み、無事ホテル近くまで行き、そこから徒歩で
フラットに入る、そぉーと音を立てないように部屋に入り、衣類を着替えシャワーを浴び、
居間に行くと、H氏の伝言があり、‘安部首相辞職’と買い物の言伝があった。
長い1日で、概ね大きなイベントは、終わった事になる。
今日一日で、砂漠の入り口の深南部から海近くの北の市内に戻った事になる。
無事2人が戻った所でほっとして、ぐっすり眠りにつく。



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Д鼻璽困粒后 9月11日)

ドーズの街スリッパ屋









9月11日
朝食はクロワッサン、ゆっくり散歩する。
動物市場に行く、メディアにあり、真ん中で牛でも売買するのだろうか、
そんなもんでなくて、ラクダでしょうか、平日でもあり、なにもない広場である。
周囲に店があり、冷やかす。
K氏 早速 皮のスリッパを買う。中々いい材質で、いい仕事をしている。
職人らしく、誠実である。
ここは、革製品、履物の生産地である。
少し見ていると、店の男が、中に招きいれ、サハラ砂漠の地図を見せて、
4WDで、砂漠を走破し、食事もいれ、オアシスからオアシスに移動して、
ガベスに行くツアーを、DN350(急ぎ)DN450 (ゆったり)を提案してきた。
これは、砂漠ツアーなるものを、将来組める事になる。
夕方たった10km程度を4wdで走っただけで、気持ち悪くなり、
ダカールラリーなんてものは、全く興味なくなる。
何でも体験である。





メディナホテル 中庭







部屋砂漠の上で







暑いので、宿に戻ると、日本人らしき小柄な女性がいて、ジャパニーズと聞くと
そうだとのことで、夜行で来て、ツアーに申込み、夕方まで、無料で部屋を貸してもらい、昼寝ができるという幸運さによろこんで煙草をスパーと吸っていた。
洗濯しても、暑いのですぐ乾く。
今日は出発まで部屋を交換してくれって事で、階下に変わるが、シャワー室が近く、
ここでのシャワーが広くていい。夕方までのんびり過ごして、ホテルで働いている
黒人男女とも親しくなった。背の高い男は、カンフーと日本人がごっちゃで、
!アチャ-オチョー!と言ってやると喜んでいた。それ以降会えば アチョー が
挨拶である。逆に あのアチョー男しか、ドーズでは思い出さない。
昼食を取りに、3人で街に出る、といっても2軒しかなく、1軒は、あのうるさいお調子もの黒人の為、別の1軒に行く。有名なクスクス料理である。
食べれた代物でなく、動物の餌のようなもので、ジャガイモのみ食べた。
かの女性は、美味しそうにパクパク食べていた、それ程空腹だったのでしょうか。
またホテルに戻り、ひとしきり話をして、ぼっと過ごす、相棒は、ベッドで眠っている。
夕方6時になり、やっと出発準備で、小さなロビーで、またひとしきり待つ。
日本人と思しき若い人が参加するが、あまり話さない、そこに あのアチョーが来て、
彼にも揄うが、わからないという事で相手にされないので、不思議がっている。
そんなの言うのは、僕みたいなおっちゃんしかいないのだ。
K氏が話し掛けて、日本人という事になり、総勢4人の貸切で出発、
途中大きなホテルの邸宅のような一群を通過すると、ラクダの一群にあたり、欧米人が
たくさんいる。そこから10km程度の正にサハラの入り口、かかりで、テントを通過。
砂漠に車を止めて、皆で砂漠遊びをすることになる。のんびりした白人で、気楽にここで商売しているが、楽なもんである。
段々と日が暮れてくるので、また元のテントに戻り、そこが宿とのことである。
ここですか? 近すぎる!
運転手の白人は、早くも帰る。
あとは、ベルベル人のお爺さん1人で、ソファーやベッド、食事を作ってくれる。
日が落ち出しだので、サンセットを皆で先ほどの砂漠のところまで行き、
サンセットを撮る。太陽を後にして撮ると、黒いシルエットが浮かびいい写真になると
フランス在住の若き物理学者が教えてくれる。
そんなこんなで、日が暮れ、満天の星をながめ、またクスクスを食べ、
テントの中に入らず、ずーと外にいて、空を見続けた。
食後 甘いお茶を振舞われ、老人の楽器で、物悲しい歌を聞くことになる、
そのうち 踊りを奨められ、一人 アンコールワット踊りと天神踊りを
汗まみれで踊り、夜はふけていった。




太陽を背に、黒いシルエット4WD




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2007年10月23日

サハラ砂漠の 北の端の街 ドーズ (9/10)

車窓 ドーズまで列車 駅








羊の 店羊の皮がぶらさがり









9月10日
朝5時起床、急ぎ支度し、H氏の出勤を見送り、タクシーを止めて
無事 bus station に着く。
独特のアラブの人の待合の中、待つ事しばし、8時に出発。
市内から穀倉地帯の黒い土を過ぎ、緑が徐々に少なくなり、オリーブ畑が
延々と続き、その内 かくして 砂漠になっていくと思える地域となる。
途中 何にもなさそうな、オアシスの街で、休憩。
黒ずんだ羊の皮がぶら下げてある近くで、ジンギスカンの野生版で、
肉を細切れにして、網で焼いていて、男が数人その前に立っている。
そこにテーブルがあり、注文するのであろう。
とにかく外は暑い。
そこを過ぎると 延々また不毛地帯を走り、着いたところが、
ドズールという所で、殆どそこで降り、当初会話したドイツ人夫婦も
そこで降り立った。 ここが最も観光のできる場所である事を後ほど
ガイドブックで知る事になるが、砂漠のラクダーツアーは、ドーズのようで
ある。ドズールで暫しバスは止まり、待つこと暫し、バスは、地元の人を
乗せて、ドーズへ。途中 真っ白な地帯を走ったが、そこは塩湖で、
塩であった、一ヶ所で観光客が多く、塩湖に集まっていた。
先に降りると、そこがコースになっているのであろう。
数時間走り やっとドーズに着く、客の呼び込みを、相手にしながら、
目的地の Van(20) Marsという名のホテルに着く。
結局11時間かかった(9時間の予定が)、遠い、疲れました。

早速 黒人の女性(受付)と交渉するが、既にセットになっており、
砂漠ツアー付で、45DN と安い。今日は泊まり、何と明日の夕方
車で砂漠まで送ってくれるようである。
英語が良く通じるし、彼女が良く理解できるので安心した。
早速 シャワーを浴びる。その後、先ほど聞いた、2軒しかない 1軒の
調子のいい黒人の店で、食事をとる(無難なチキン)。
アルコールは、禁止されている。抜け道としては、ホテルにタクシーで
ビールを買いに行くそうである。値段はともかく、知らない地で、相手の
言うままタクシーも少しリスクである、よって水で我慢する。
水2本込みで、10dn. 屋上のガーデンで座るも、ビールなしでは、つまらない。
泊り客のイタリア人家族ががやがや出てきた。部屋のクーラーが点かないので、
確認に行くと、別途10DNとかで、我慢する。
締切ると暑いので、途中から内側の窓をあけた、外から押せば開くが
何とでもなれって事で眠る事になる。




塩湖砂漠




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ァ.后璽后sousse) の海 (ラ メール)

064ス^スの海066 スースの風景、木と人








070スース市内073おにぎり








9月9日 スース

再び列車に乗り、チュニス方面に向けて、スースに向かう。
スースに降り立ち、海岸までの通りを歩く、人の通りも多く、
観光地の雰囲気が漂う。
歩いていくと海岸近くに来ると、突然海が目に入る。ラ・メールである。
手前が薄い緑色だが、上は真っ黒なような、大変濃い色である。
これが地中海の色かと驚いた。
H氏の奨めで、水着は持参していたが、人も居て、着替える所もないので、
半ズボンを脱ぎ、トランクスで泳いだ、初めて地中海で泳いだ。
海は 泳いでいる人も少ないが、波も静かで、ゆったりと浮けた、
淡輪の海のごとく。
日本の様に、ロープを引いたり、浮きを浮かしたりというのがない。

このあと3度泳ぐ事になるが、パックでは、こうはいかないであろう。
その後、昼食を取り、旧市街を歩く。
急な階段の塔に登ると、市街が見え、風も良く吹き、ここち良い。
4時まで列車がないので、乗合自動車(ルアージュ)で帰る事を決め、
ルアージュステーションまで、タクシーで行く(2 DN)。
ルアージュstation は、街の外れにある。市内を走らせないというか、
街から街(市)まで、高速で走れるように考えられている。
Station には、ルアージュが、数十台とまっている。
人数が集まるまで出ない、3人一緒の為、少し時間がかかる。8Dnで、
2時間かけてtunis に戻る、そこからもタクシーで、アパートまで戻る。
Tunis に戻った所のすぐ手前に、南の中央バス集合所があり、そこで
Douz までの明日のバスの切符を買った。DN26.54 x 2枚で、DN53.-支払う。
既に 何度か下見に来てくれていて、切符売り場の人とも顔見知りである。

戻ると、早速買いだしである。オムレツ&カレーライスを少し口に入れ
早めに明日の準備をして床につく。
10時着床。




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2007年10月10日

 9月9日 世界遺産 el jem, 地中海のsousse へ

011el jem 駅014el gem 全景








9月9日

EL JEMに列車に乗って行く。
朝4時起き(もう3時位から目を覚ます)で、5時15分に家を出るがタクシーが
捕まらない、この時間の下見はできない。
機転を利かし、hotel diplomatへ移動し、やっと捕まえる。
6時発の列車で、2,3時間して到着した。

トイレは、使えないという話であったが、座りにくく、便器の縁に座ると言う事で
あったが、実際 座って少し落とした。紙もついていた。
流すと落ちるが、紙が落ちない、別途丸めた紙で押し込みなんとか落とした。
流さないと、間違いなく次の人が落とすと詰まる事になる。

エルジェムは、白い壁に青い色を着けて独特の建物カラーである。
駅で記念に低いプラットホームで写真を撮る。

歩くと突然目の前に出現する円形劇場は、ただただ圧倒される。
ローマ最大級のものであるとか。
かなり上ぼり下りし、見事な巨大な劇場を周囲からも見る。
外国からの観光客が多く、女性も胸元を開けて大胆である。
遺跡と女性に交互に目が行く。
円形の劇場の下の地面に降り立つと、更に地下に部屋や通路があり、ここで
待機して、猛獣が出て来たりして、勇者と戦うのであろうか。
遺跡は、全て地下が発達していて、涼しい。
食物の保存や暑さ対策で、地下を上手く利用していた事がわかった。
アンコール寺院の遺跡とは違う。現代も住居に地下室を作るのも有効だなと思う。
見学後、カフェーというか、戸外のテーブルで、コーヒーを食す。
次に列車に乗りスースに行く事となる。


003トイレ007オリーブ畑













019崩れかかった遺跡020円形競技場








022観光客多し026競技場上から







027競技場と街並030柱の間で








031柱柱033el jem の広場に立つ







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2007年10月03日

ブラレジアの遺跡 と ドゥッガ

9月8日

朝はゆったりで、8時に、チャーターした4WDで、ハイウエイを110kmで
大平原のかつてのローマ帝国の穀倉地帯をひた走りに走る。
この行程が最も快適で、豪華版であることを後ほど知る事となる。
運転手付で 1日DN220,-(=\2万)の費用であり、H氏が支払ってくれる。
日々の節約、お給金を考えると、大変あり難い。
オリーブの木が多く植えられている。H氏曰く、昨年旅した阿蘇に似ているとの
説明。
この地域は乾燥していてるので、豪州から取り寄せたのか、ユーカリの木が
街道の両側に整然と植えられている。ローマ街道と謳える風景である。
現地の言葉では、’ケリトース’高い木である。
車で1時間で、ブラレジアに到着する。


2000年の時空を超えてーヌメディアの遺跡
ブラレジアに 壮年にして立つ

ブラレジア gateアーチ








ブラレジア 文様





ブラレジアの柱に立つ








モザイクの文様が石をちりばめて作られている
高度な技術



起伏のあるなだらかな平原の中に、紀元前4Cヌミディア王国(ベルベル系の土着の人々の民族国家)が築かれていた。カルタゴの勢力範囲の中にあり、強力な騎兵を有す。
日本では、竪穴式住居で生活していた時代であろう。


林立する柱029地下遺跡







ローマの属州となっていた。遺跡は地上に余り出ていなく階段を降りて地下の住居を見る。
暑さを防ぐのに地下に住んでいたのか、中は涼しい。
昨日からチュニスは、10℃位温度が下がり過ごしやすい。35℃以上だと暑くて全てはまわれない。


ブラレジア 全景女神像(ブラ)








  ブラレジアの全景        女神像は、絵に水をかけると見事に浮かぶ。


床のモザイク絵043海で戯れる







ブラレジアからドウッガへ移動し、遺跡近くのレストランで、昼食を取る。
大変落ち着いた所で、野菜を食し、パンをオリーブオイルやピマントーの皿に
浸すとピリカラく美味しい。猪の肉を良く煮込んだものがでる、やわらかくて美味しい。
軽くビエールを飲む。
食後 ドウッガへ、丘をかなり登っていくと、突然大きな柱が目に入る。
Theatre, 劇場跡で、同種のものがなく、見事なもので感動した。
中の部分も色々と1時間半近く歩き疲れたが、涼しくて良かった。
K氏が熱心に隈なく見て回っていた。この1日は大変有意義な見学で、世界遺産の
ドウッガを丹念に見て回れた。
昨年のアンコールワットと無意識に比較して見れた様に思う。
800年と2000年では、石の風化が違う



050ブラレジア 神殿に立つ066ドッガの神殿








078女神小像少年








      ドッガの神殿       村の少年


dugga の 大きさ (正)ドゥッガ








小生が左の神殿の下に立っているので、その大きさがわかるでしょう。

dohongrose27 at 00:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2007年10月02日

◆doha 〜 tunis 白い大地〜地中海へ

9月7日
ドーハーの待合は、広々として、フライトのゲート毎に、イスを色分けして
ゆったりと過ごせる。Praying room があり、やはりムスリムである、
何人もの人が部屋でメッカに向けてお祈りしている。
Sleeping room もあり、名の通り、暗くして毛布をかぶりリクライニングで、
寝ている、空席なし。
4.5時間後、定刻8:00にQR-568便が飛び立つ、乗客は、殆どがアラブ、チュニジア
の人達である、スチュ-ワデスも中東の白人系と小作りな容貌の褐色系が混在し、
小柄なアラブ系の人が親しみやすい。
上空に上がると眼下に早くも砂漠の白い色が見え出す、あたり一面真っ白で、
その中に街もあるが小さいので規模がわからない、海岸線は、美しく 白い大地に
一線を画して真っ青な海である。下界は、40度近いであろう。
この砂漠の白さと暑さの中、海で泳ぐ人はいないであろうと想像する。
見渡す限り真っ白な大地、これがアラビア半島である。
線の様な道路、オアシスなような池のような白い部分、大地の皺のような山が
浮かび上がる、友人のK氏が双眼鏡で見るが、木が生えていない山々。
眼下にまさに世界地理が広がっている。 
一面不毛の地で、人力の及ばぬ大地であることを知る、世界の自然は厳しい。
途中 白い大地から赤く変わっていく、地面が燃えているようで、
それが延々と続く、アラビア半島を斜めに横切るのに3時間かかる。
そこから紅海、地中海に入ると、青々とした海が続き、2,3時間ウトウト眠って
いるとチュニス、カルタゴ空港に近づいているアナウンスが出る。
不毛のアラビア半島を抜けるとチュニスは、薄い緑のパラダイズの様な地に映る。
やっと到着である、3時間のinterval をおいて、計19時間かかった。
南回りは、今も遠い。
チュニスに到着すると言葉は一変してフランス語に変わる。
予定通り 持参の$500のうち$300を、dinar (ディナー)に両替する。
DN370,80 位の数多い札を窓口横で、気をつけてチェックする、それを
財布にしまいこみ、荷物を受け取り外に出ると、友人のH氏が 幾分slimに
なって迎えに来てくれている。
2Fに即移動し、流しに近いメーター付のオンボロの黄色いタクシーに乗る。

アラブ風、欧州風の建物、南国の樹木に、タクシーから聞こえるアラブ音楽に
乗って市内に近づく。
Hotel diplomat 近くの低層のマンションの様な白い建物に、鍵をあけて
入る、部屋の中は、大理石のような石作りで、寝室2つ、居間、台所と
スペースはある、きれいなのに感激して、早速 champion(シャンピオン)に
食料の買出しに行く。
初めてのマーケットは新鮮で、次に野菜の土地色した市場にも入る。
後に、慣れてくると整理整頓が悪く、店員の対応も良くないと感じる。
買い物のあと、若者が集まるtrendy な飲食コーナーで、ひしめきあった
テーブルの腰掛けて、デミグラの様な小さいカップのコーヒーを飲む。
フランスの下町風&アラブの少し汚れた道を歩き、部屋に戻る。
久々の再会を祝し、日本風の食事を取り、長かった1日は、コーランの
音楽と共に終わる。


居間 1居間 2





dohongrose27 at 15:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

北アフリカへ (doha までの飛行)

doha23:45doha  に 向けて









Qあ深夜便 Qatar Air








Qatar airways (mid -night)

6日の23:45 doha行きの便(南回り)に乗り
いざ 中東へ。
12時に飛び4時に到着、時差を考えると11時間ってことになる。
日本海〜モンゴル上部〜インド北部〜中東という
極東〜アジア、東南アジアの北〜インド〜中東 と
アジアも広い、6,7000キロである。
カタールエアの座席は、ビジネスクラスに近い快適なものだった。

dohongrose27 at 03:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2007年09月24日

北アフリカ チュニジアを旅する 9.7-18, 2007

ヌメヂア







ヌメディア王国の首都 ブラレジア
2000年前の遺跡です。 9.08.2007


今回 ローマの遺跡の残る西欧とイスラムが調和する北アフリカ
チュニジアに旅しました。
今後 ブログしていきます。

dohongrose27 at 02:15|PermalinkComments(5)TrackBack(0)

2006年11月10日

江ノ島

江ノ島江ノ島の展望台から







6月27日(2006)に次男と行った江ノ島

江ノ島水族館片瀬江ノ島海岸







水族館にて 魚が手のひらに    片瀬江ノ島海岸


鎌倉の大仏山下公園








  鎌倉の大仏          山下公園


6月25日 

次男を初めて、東京に連れて行きました。
彼は ゲームソフトの販売店に興味があるのですが、
夜行バスで、節約して 早朝に 東京駅に到着。
皇居を見せて、山手線を走り、朝食を 駅の立ち食いで、東京の濃い出しの
蕎麦を食す。当人は美味しいとの事でした、この味も33年前に東京で勤務していたので、個人的には 好きな味なのです。
1日目 新橋、浅草、上野(西郷さんの銅像、集団就職列車の記念碑、不忍池)、秋葉原、両国 大江戸博物館と歩き、宿泊の大井町のホテルに 早々とチェックインし、
阪急で買った弁当を部屋で食す。其の後 最上階の風呂に入りゆっくりして、
水道橋の’勝吉’という老舗の独特の店で、カツ定食を食べ、エネルギーを補充して、後楽園まで歩き、big eggを通る、有名な後楽園遊園地には、オタク衣装の若い女性が集まっていた。そこから地上の丸の内線で、銀座に行き、銀座〜新橋を
歩き 夜の明るい銀座を案内する。

6月26日 

昼間仕事
彼はホテルにて。
夜 渋谷〜表参道を歩く、人が多く、表参道の並木、建物の並んでいるさまは
ニューヨークの如し、欧州の都心の如し、大変きれいな街並であった。
駅近くで、鉄板焼きを食べる。息子は美味しかったようである。

6月27日

小生の好きだった江ノ島へ。
鎌倉まで東横線で行き、鎌倉で江ノ電に乗り換える。
江ノ電は、大阪では 阪堺電車に相当するが、町並みは洗練されていて。
お客さんが年配の夫婦、シニアの女性のグループとハイキングを楽しむ人達で
華やぐ車内であった。
江ノ島は、昔 中学1年の時、今で言うゴールデンウィークを使って、家族を連れて
父が1週間くらいの東京旅行で 泊まったところで、忘れがたい。
箱根強羅、中禅寺湖、日光と廻ったのだが、これが後にも先にも一度きりの、父が休みを取って旅行に連れて行ってくれた 当時では大旅行でした。

江ノ島は 静かで、展望台まで登ると 片瀬海岸やヨットハーバーが見え、
三浦半島の自然が美しい。
昼に 名物の しらす丼を二人で食べる、シラスという、白い小魚を茹でたものだけのシンプルな料理だが、息子は美味しいと言ってくれた。
また鎌倉に戻り、長谷の大仏を見学、殆ど人も少なく静かな風景だった。
帰途 石川町でおり、山下公園で夕暮れ時まで過ごす、神戸ではない広い公園で
人々が海を見ながら寛ぐ 香港の港のようでもある。
中華街で定食を食べ、急ぎ ホテルで荷物をピックアップし、東京駅の丸の内側に
待つ 夜行バスの出発地に急ぐ。
駆け足の関東旅行であったが、障害の23歳の息子には、思い出になったろうかと
帰途に着く。





dohongrose27 at 17:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

江ノ島

江ノ島江ノ島の展望台から







6月27日(2006)に次男と行った江ノ島

江ノ島水族館片瀬江ノ島海岸







水族館にて 魚が手のひらに    片瀬江ノ島海岸


鎌倉の大仏山下公園








  鎌倉の大仏          山下公園


6月25日 

次男を初めて、東京に連れて行きました。
彼は ゲームソフトの販売店に興味があるのですが、
夜行バスで、節約して 早朝に 東京駅に到着。
皇居を見せて、山手線を走り、朝食を 駅の立ち食いで、東京の濃い出しの
蕎麦を食す。当人は美味しいとの事でした、この味も33年前に東京で勤務していたので、個人的には 好きな味なのです。
1日目 新橋、浅草、上野(西郷さんの銅像、集団就職列車の記念碑、不忍池)、秋葉原、両国 大江戸博物館と歩き、宿泊の大井町のホテルに 早々とチェックインし、
阪急で買った弁当を部屋で食す。其の後 最上階の風呂に入りゆっくりして、
水道橋の’勝吉’という老舗の独特の店で、カツ定食を食べ、エネルギーを補充して、後楽園まで歩き、big eggを通る、有名な後楽園遊園地には、オタク衣装の若い女性が集まっていた。そこから地上の丸の内線で、銀座に行き、銀座〜新橋を
歩き 夜の明るい銀座を案内する。

6月26日 

昼間仕事
彼はホテルにて。
夜 渋谷〜表参道を歩く、人が多く、表参道の並木、建物の並んでいるさまは
ニューヨークの如し、欧州の都心の如し、大変きれいな街並であった。
駅近くで、鉄板焼きを食べる。息子は美味しかったようである。

6月27日

小生の好きだった江ノ島へ。
鎌倉まで東横線で行き、鎌倉で江ノ電に乗り換える。
江ノ電は、大阪では 阪堺電車に相当するが、町並みは洗練されていて。
お客さんが年配の夫婦、シニアの女性のグループとハイキングを楽しむ人達で
華やぐ車内であった。
江ノ島は、昔 中学1年の時、今で言うゴールデンウィークを使って、家族を連れて
父が1週間くらいの東京旅行で 泊まったところで、忘れがたい。
箱根強羅、中禅寺湖、日光と廻ったのだが、これが後にも先にも一度きりの、父が休みを取って旅行に連れて行ってくれた 当時では大旅行でした。

江ノ島は 静かで、展望台まで登ると 片瀬海岸やヨットハーバーが見え、
三浦半島の自然が美しい。
昼に 名物の しらす丼を二人で食べる、シラスという、白い小魚を茹でたものだけのシンプルな料理だが、息子は美味しいと言ってくれた。
また鎌倉に戻り、長谷の大仏を見学、殆ど人も少なく静かな風景だった。
帰途 石川町でおり、山下公園で夕暮れ時まで過ごす、神戸ではない広い公園で
人々が海を見ながら寛ぐ 香港の港のようでもある。
中華街で定食を食べ、急ぎ ホテルで荷物をピックアップし、東京駅の丸の内側に
待つ 夜行バスの出発地に急ぐ。
駆け足の関東旅行であったが、障害の23歳の息子には、思い出になったろうかと
帰途に着く。





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2006年07月02日

東京旅行2

6月24日(土)
東京に 次男と出張を兼ねて 旅をする。



東京旅行 夜行バス
東京駅







新大阪 旅 de com のバスで、2人がけ        東京駅着


夜10:20発で、京都11時に出て、何と5時過ぎに 早くも到着、
夜中3時間位は眠った気がするが、時間は最大限利用できる。


二重橋
浅草 雷門













二重橋               雷門(浅草)


雷門 パート2
上野駅







浅草寺を拝む           上野駅        


上野駅 集団就職列車碑












集団就職列車の記念碑        


dohongrose27 at 12:27|PermalinkComments(4)TrackBack(0)

東京旅行2

6月24日(土)
東京に 次男と出張を兼ねて 旅をする。



東京旅行 夜行バス
東京駅







新大阪 旅 de com のバスで、2人がけ        東京駅着


夜10:20発で、京都11時に出て、何と5時過ぎに 早くも到着、
夜中3時間位は眠った気がするが、時間は最大限利用できる。


二重橋
浅草 雷門













二重橋               雷門(浅草)


雷門 パート2
上野駅







浅草寺を拝む           上野駅        


上野駅 集団就職列車碑












集団就職列車の記念碑        


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2006年05月13日

東南アジアの旅 (4.07 - 17, 06) 後記5

後記

帰りのバンコクのファランポー中央駅にポイペトから列車に5時間近く乗って戻ったルート、シェムリアップからポイペとまでの車を借り切って走った3時間強、
バンコクから シェムリアップまでの カンボジアに行く時のバス、昼食、謎の休憩・食事、ぼったくりのホテル、―――と 全て英国人が blogに書いていた通りで、それを、バスで行ったケース、タクシー&列車のケースと 両方実践した事になる。

一つ違ったのは、pick up truck に 乗らず、屋根もあり、冷房が聞いていた事である。
改訂版を lonely planet(バックパッカー向け世界的ブログ) に 書いてやろうかと思っている。
ポイペトの乗り換えは、一人心配した、途中 山のように現地人が乗っていたトラックに
乗り、砂埃と暑さの中を 走らずに済んだのは良かったが、灼熱のカンボジア平原を体感できなかったともいえる。それは、幸いであったかもしれない。

帰りに  小さなポイペトの街で泊まった事は、ブログには書かれていなかったが、バンコク在住の岩田氏のお蔭で、ソンクランの水掛祭りと体感できた事を 感謝したい。
小さな国境の街で、音楽に乗せて祭りに騒ぐ人々と、南国の木々と夕暮れ時の光景が 
残照のように 心に刻まれた。

さて、今回の旅は、費用を 考えると 8万円くらいで済んだ。
領収書のはぎれや 手帳に記した費用を 表に作成する時、其の国の生活、物価が
垣間見えて、興味深い。3都市の通貨、文化、生活と比較も少しは 理解ができる。
其の上で 其の国の記事を 見ると、其の地域の状況が見えてくる。

今回 ホテルは、ホーチミンで、twin $15 と費用が高く、バンコクでは、
dormitory と 呼ぶ 2段ベッド 5,6個ある guest house B170, シェムリアップ
$7/twin の宿 と、バックパッカーの泊まる安い宿を利用した。
通常のホテルでも、欧米の一泊の費用で、4泊位利用できるのが東南アジアである。
食事は、今回殆ど ご馳走で、よく食べた。ホーチミンで、4人で$68が、最高で。
バンコク、シェムリアップ と$10 位で、いい食事を頂けた。
交通の移動は、列車、ツアー用のバスを利用すると、かなり安い。
といっても 日本の物価と比較した場合で、逆に高い物価に我々は 慣らされているとも
言えるし、海外に出てみると、円の強さ、経済力を体感できることになる。
薄給の身の、シニアには、ありがたい。現地に来てみて、あらためて地域の文化を知ることになる。現地の人と知り合うには、公共機関を使って、地を這うように旅をして、その国を知ることになる。其の国の言葉が 少し話せれば 更に好きになるでしょう。
今回 愉しく旅をしてくれた 若い友人3名の、カッチ、親方、岩ちゃんに感謝をして
筆をおきます。
Thanks guys, thanks anchol wat. / nabe



dohongrose27 at 08:46|PermalinkComments(5)TrackBack(1)