2007年10月

2007年10月23日

サハラ砂漠の 北の端の街 ドーズ (9/10)

車窓 ドーズまで列車 駅








羊の 店羊の皮がぶらさがり









9月10日
朝5時起床、急ぎ支度し、H氏の出勤を見送り、タクシーを止めて
無事 bus station に着く。
独特のアラブの人の待合の中、待つ事しばし、8時に出発。
市内から穀倉地帯の黒い土を過ぎ、緑が徐々に少なくなり、オリーブ畑が
延々と続き、その内 かくして 砂漠になっていくと思える地域となる。
途中 何にもなさそうな、オアシスの街で、休憩。
黒ずんだ羊の皮がぶら下げてある近くで、ジンギスカンの野生版で、
肉を細切れにして、網で焼いていて、男が数人その前に立っている。
そこにテーブルがあり、注文するのであろう。
とにかく外は暑い。
そこを過ぎると 延々また不毛地帯を走り、着いたところが、
ドズールという所で、殆どそこで降り、当初会話したドイツ人夫婦も
そこで降り立った。 ここが最も観光のできる場所である事を後ほど
ガイドブックで知る事になるが、砂漠のラクダーツアーは、ドーズのようで
ある。ドズールで暫しバスは止まり、待つこと暫し、バスは、地元の人を
乗せて、ドーズへ。途中 真っ白な地帯を走ったが、そこは塩湖で、
塩であった、一ヶ所で観光客が多く、塩湖に集まっていた。
先に降りると、そこがコースになっているのであろう。
数時間走り やっとドーズに着く、客の呼び込みを、相手にしながら、
目的地の Van(20) Marsという名のホテルに着く。
結局11時間かかった(9時間の予定が)、遠い、疲れました。

早速 黒人の女性(受付)と交渉するが、既にセットになっており、
砂漠ツアー付で、45DN と安い。今日は泊まり、何と明日の夕方
車で砂漠まで送ってくれるようである。
英語が良く通じるし、彼女が良く理解できるので安心した。
早速 シャワーを浴びる。その後、先ほど聞いた、2軒しかない 1軒の
調子のいい黒人の店で、食事をとる(無難なチキン)。
アルコールは、禁止されている。抜け道としては、ホテルにタクシーで
ビールを買いに行くそうである。値段はともかく、知らない地で、相手の
言うままタクシーも少しリスクである、よって水で我慢する。
水2本込みで、10dn. 屋上のガーデンで座るも、ビールなしでは、つまらない。
泊り客のイタリア人家族ががやがや出てきた。部屋のクーラーが点かないので、
確認に行くと、別途10DNとかで、我慢する。
締切ると暑いので、途中から内側の窓をあけた、外から押せば開くが
何とでもなれって事で眠る事になる。




塩湖砂漠




dohongrose27 at 15:13|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 

ァ.后璽后sousse) の海 (ラ メール)

064ス^スの海066 スースの風景、木と人








070スース市内073おにぎり








9月9日 スース

再び列車に乗り、チュニス方面に向けて、スースに向かう。
スースに降り立ち、海岸までの通りを歩く、人の通りも多く、
観光地の雰囲気が漂う。
歩いていくと海岸近くに来ると、突然海が目に入る。ラ・メールである。
手前が薄い緑色だが、上は真っ黒なような、大変濃い色である。
これが地中海の色かと驚いた。
H氏の奨めで、水着は持参していたが、人も居て、着替える所もないので、
半ズボンを脱ぎ、トランクスで泳いだ、初めて地中海で泳いだ。
海は 泳いでいる人も少ないが、波も静かで、ゆったりと浮けた、
淡輪の海のごとく。
日本の様に、ロープを引いたり、浮きを浮かしたりというのがない。

このあと3度泳ぐ事になるが、パックでは、こうはいかないであろう。
その後、昼食を取り、旧市街を歩く。
急な階段の塔に登ると、市街が見え、風も良く吹き、ここち良い。
4時まで列車がないので、乗合自動車(ルアージュ)で帰る事を決め、
ルアージュステーションまで、タクシーで行く(2 DN)。
ルアージュstation は、街の外れにある。市内を走らせないというか、
街から街(市)まで、高速で走れるように考えられている。
Station には、ルアージュが、数十台とまっている。
人数が集まるまで出ない、3人一緒の為、少し時間がかかる。8Dnで、
2時間かけてtunis に戻る、そこからもタクシーで、アパートまで戻る。
Tunis に戻った所のすぐ手前に、南の中央バス集合所があり、そこで
Douz までの明日のバスの切符を買った。DN26.54 x 2枚で、DN53.-支払う。
既に 何度か下見に来てくれていて、切符売り場の人とも顔見知りである。

戻ると、早速買いだしである。オムレツ&カレーライスを少し口に入れ
早めに明日の準備をして床につく。
10時着床。




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2007年10月10日

ぁ\こΠ篁此el jem part 2

el jem part


038階段の上で2人039壁と二人








040競技場の大きさ041大きさNo.2








042光と影044外壁








050壁を触る054遠景








057憩う人々059デミカップ








dohongrose27 at 16:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

 9月9日 世界遺産 el jem, 地中海のsousse へ

011el jem 駅014el gem 全景








9月9日

EL JEMに列車に乗って行く。
朝4時起き(もう3時位から目を覚ます)で、5時15分に家を出るがタクシーが
捕まらない、この時間の下見はできない。
機転を利かし、hotel diplomatへ移動し、やっと捕まえる。
6時発の列車で、2,3時間して到着した。

トイレは、使えないという話であったが、座りにくく、便器の縁に座ると言う事で
あったが、実際 座って少し落とした。紙もついていた。
流すと落ちるが、紙が落ちない、別途丸めた紙で押し込みなんとか落とした。
流さないと、間違いなく次の人が落とすと詰まる事になる。

エルジェムは、白い壁に青い色を着けて独特の建物カラーである。
駅で記念に低いプラットホームで写真を撮る。

歩くと突然目の前に出現する円形劇場は、ただただ圧倒される。
ローマ最大級のものであるとか。
かなり上ぼり下りし、見事な巨大な劇場を周囲からも見る。
外国からの観光客が多く、女性も胸元を開けて大胆である。
遺跡と女性に交互に目が行く。
円形の劇場の下の地面に降り立つと、更に地下に部屋や通路があり、ここで
待機して、猛獣が出て来たりして、勇者と戦うのであろうか。
遺跡は、全て地下が発達していて、涼しい。
食物の保存や暑さ対策で、地下を上手く利用していた事がわかった。
アンコール寺院の遺跡とは違う。現代も住居に地下室を作るのも有効だなと思う。
見学後、カフェーというか、戸外のテーブルで、コーヒーを食す。
次に列車に乗りスースに行く事となる。


003トイレ007オリーブ畑













019崩れかかった遺跡020円形競技場








022観光客多し026競技場上から







027競技場と街並030柱の間で








031柱柱033el jem の広場に立つ







dohongrose27 at 11:33|PermalinkComments(3)TrackBack(0) 

2007年10月03日

ブラレジアの遺跡 と ドゥッガ

9月8日

朝はゆったりで、8時に、チャーターした4WDで、ハイウエイを110kmで
大平原のかつてのローマ帝国の穀倉地帯をひた走りに走る。
この行程が最も快適で、豪華版であることを後ほど知る事となる。
運転手付で 1日DN220,-(=\2万)の費用であり、H氏が支払ってくれる。
日々の節約、お給金を考えると、大変あり難い。
オリーブの木が多く植えられている。H氏曰く、昨年旅した阿蘇に似ているとの
説明。
この地域は乾燥していてるので、豪州から取り寄せたのか、ユーカリの木が
街道の両側に整然と植えられている。ローマ街道と謳える風景である。
現地の言葉では、’ケリトース’高い木である。
車で1時間で、ブラレジアに到着する。


2000年の時空を超えてーヌメディアの遺跡
ブラレジアに 壮年にして立つ

ブラレジア gateアーチ








ブラレジア 文様





ブラレジアの柱に立つ








モザイクの文様が石をちりばめて作られている
高度な技術



起伏のあるなだらかな平原の中に、紀元前4Cヌミディア王国(ベルベル系の土着の人々の民族国家)が築かれていた。カルタゴの勢力範囲の中にあり、強力な騎兵を有す。
日本では、竪穴式住居で生活していた時代であろう。


林立する柱029地下遺跡







ローマの属州となっていた。遺跡は地上に余り出ていなく階段を降りて地下の住居を見る。
暑さを防ぐのに地下に住んでいたのか、中は涼しい。
昨日からチュニスは、10℃位温度が下がり過ごしやすい。35℃以上だと暑くて全てはまわれない。


ブラレジア 全景女神像(ブラ)








  ブラレジアの全景        女神像は、絵に水をかけると見事に浮かぶ。


床のモザイク絵043海で戯れる







ブラレジアからドウッガへ移動し、遺跡近くのレストランで、昼食を取る。
大変落ち着いた所で、野菜を食し、パンをオリーブオイルやピマントーの皿に
浸すとピリカラく美味しい。猪の肉を良く煮込んだものがでる、やわらかくて美味しい。
軽くビエールを飲む。
食後 ドウッガへ、丘をかなり登っていくと、突然大きな柱が目に入る。
Theatre, 劇場跡で、同種のものがなく、見事なもので感動した。
中の部分も色々と1時間半近く歩き疲れたが、涼しくて良かった。
K氏が熱心に隈なく見て回っていた。この1日は大変有意義な見学で、世界遺産の
ドウッガを丹念に見て回れた。
昨年のアンコールワットと無意識に比較して見れた様に思う。
800年と2000年では、石の風化が違う



050ブラレジア 神殿に立つ066ドッガの神殿








078女神小像少年








      ドッガの神殿       村の少年


dugga の 大きさ (正)ドゥッガ








小生が左の神殿の下に立っているので、その大きさがわかるでしょう。

dohongrose27 at 00:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 

2007年10月02日

◆doha 〜 tunis 白い大地〜地中海へ

9月7日
ドーハーの待合は、広々として、フライトのゲート毎に、イスを色分けして
ゆったりと過ごせる。Praying room があり、やはりムスリムである、
何人もの人が部屋でメッカに向けてお祈りしている。
Sleeping room もあり、名の通り、暗くして毛布をかぶりリクライニングで、
寝ている、空席なし。
4.5時間後、定刻8:00にQR-568便が飛び立つ、乗客は、殆どがアラブ、チュニジア
の人達である、スチュ-ワデスも中東の白人系と小作りな容貌の褐色系が混在し、
小柄なアラブ系の人が親しみやすい。
上空に上がると眼下に早くも砂漠の白い色が見え出す、あたり一面真っ白で、
その中に街もあるが小さいので規模がわからない、海岸線は、美しく 白い大地に
一線を画して真っ青な海である。下界は、40度近いであろう。
この砂漠の白さと暑さの中、海で泳ぐ人はいないであろうと想像する。
見渡す限り真っ白な大地、これがアラビア半島である。
線の様な道路、オアシスなような池のような白い部分、大地の皺のような山が
浮かび上がる、友人のK氏が双眼鏡で見るが、木が生えていない山々。
眼下にまさに世界地理が広がっている。 
一面不毛の地で、人力の及ばぬ大地であることを知る、世界の自然は厳しい。
途中 白い大地から赤く変わっていく、地面が燃えているようで、
それが延々と続く、アラビア半島を斜めに横切るのに3時間かかる。
そこから紅海、地中海に入ると、青々とした海が続き、2,3時間ウトウト眠って
いるとチュニス、カルタゴ空港に近づいているアナウンスが出る。
不毛のアラビア半島を抜けるとチュニスは、薄い緑のパラダイズの様な地に映る。
やっと到着である、3時間のinterval をおいて、計19時間かかった。
南回りは、今も遠い。
チュニスに到着すると言葉は一変してフランス語に変わる。
予定通り 持参の$500のうち$300を、dinar (ディナー)に両替する。
DN370,80 位の数多い札を窓口横で、気をつけてチェックする、それを
財布にしまいこみ、荷物を受け取り外に出ると、友人のH氏が 幾分slimに
なって迎えに来てくれている。
2Fに即移動し、流しに近いメーター付のオンボロの黄色いタクシーに乗る。

アラブ風、欧州風の建物、南国の樹木に、タクシーから聞こえるアラブ音楽に
乗って市内に近づく。
Hotel diplomat 近くの低層のマンションの様な白い建物に、鍵をあけて
入る、部屋の中は、大理石のような石作りで、寝室2つ、居間、台所と
スペースはある、きれいなのに感激して、早速 champion(シャンピオン)に
食料の買出しに行く。
初めてのマーケットは新鮮で、次に野菜の土地色した市場にも入る。
後に、慣れてくると整理整頓が悪く、店員の対応も良くないと感じる。
買い物のあと、若者が集まるtrendy な飲食コーナーで、ひしめきあった
テーブルの腰掛けて、デミグラの様な小さいカップのコーヒーを飲む。
フランスの下町風&アラブの少し汚れた道を歩き、部屋に戻る。
久々の再会を祝し、日本風の食事を取り、長かった1日は、コーランの
音楽と共に終わる。


居間 1居間 2





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北アフリカへ (doha までの飛行)

doha23:45doha  に 向けて









Qあ深夜便 Qatar Air








Qatar airways (mid -night)

6日の23:45 doha行きの便(南回り)に乗り
いざ 中東へ。
12時に飛び4時に到着、時差を考えると11時間ってことになる。
日本海〜モンゴル上部〜インド北部〜中東という
極東〜アジア、東南アジアの北〜インド〜中東 と
アジアも広い、6,7000キロである。
カタールエアの座席は、ビジネスクラスに近い快適なものだった。

dohongrose27 at 03:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)