2006年05月

2006年05月13日

東南アジアの旅 (4.07 - 17, 06) 後記5

後記

帰りのバンコクのファランポー中央駅にポイペトから列車に5時間近く乗って戻ったルート、シェムリアップからポイペとまでの車を借り切って走った3時間強、
バンコクから シェムリアップまでの カンボジアに行く時のバス、昼食、謎の休憩・食事、ぼったくりのホテル、―――と 全て英国人が blogに書いていた通りで、それを、バスで行ったケース、タクシー&列車のケースと 両方実践した事になる。

一つ違ったのは、pick up truck に 乗らず、屋根もあり、冷房が聞いていた事である。
改訂版を lonely planet(バックパッカー向け世界的ブログ) に 書いてやろうかと思っている。
ポイペトの乗り換えは、一人心配した、途中 山のように現地人が乗っていたトラックに
乗り、砂埃と暑さの中を 走らずに済んだのは良かったが、灼熱のカンボジア平原を体感できなかったともいえる。それは、幸いであったかもしれない。

帰りに  小さなポイペトの街で泊まった事は、ブログには書かれていなかったが、バンコク在住の岩田氏のお蔭で、ソンクランの水掛祭りと体感できた事を 感謝したい。
小さな国境の街で、音楽に乗せて祭りに騒ぐ人々と、南国の木々と夕暮れ時の光景が 
残照のように 心に刻まれた。

さて、今回の旅は、費用を 考えると 8万円くらいで済んだ。
領収書のはぎれや 手帳に記した費用を 表に作成する時、其の国の生活、物価が
垣間見えて、興味深い。3都市の通貨、文化、生活と比較も少しは 理解ができる。
其の上で 其の国の記事を 見ると、其の地域の状況が見えてくる。

今回 ホテルは、ホーチミンで、twin $15 と費用が高く、バンコクでは、
dormitory と 呼ぶ 2段ベッド 5,6個ある guest house B170, シェムリアップ
$7/twin の宿 と、バックパッカーの泊まる安い宿を利用した。
通常のホテルでも、欧米の一泊の費用で、4泊位利用できるのが東南アジアである。
食事は、今回殆ど ご馳走で、よく食べた。ホーチミンで、4人で$68が、最高で。
バンコク、シェムリアップ と$10 位で、いい食事を頂けた。
交通の移動は、列車、ツアー用のバスを利用すると、かなり安い。
といっても 日本の物価と比較した場合で、逆に高い物価に我々は 慣らされているとも
言えるし、海外に出てみると、円の強さ、経済力を体感できることになる。
薄給の身の、シニアには、ありがたい。現地に来てみて、あらためて地域の文化を知ることになる。現地の人と知り合うには、公共機関を使って、地を這うように旅をして、その国を知ることになる。其の国の言葉が 少し話せれば 更に好きになるでしょう。
今回 愉しく旅をしてくれた 若い友人3名の、カッチ、親方、岩ちゃんに感謝をして
筆をおきます。
Thanks guys, thanks anchol wat. / nabe



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2006年05月12日

東南アジアの旅 10日目 (16.04.2006)3

タイ鍋
タイ鍋 No.2








4月16日(日)
 朝6時半に起き、朝食を食べ、日経を読んだ後、スーパーに出かけ、ドーナツを食べ。
 ついでに 階上にあがり、日用品の市場調査、これが 何故か好きである。
 歯ブラシセットを買い(次回海外出張用)半袖の襟のついた、外国らしいカラーのシャツ2枚購入 (B399)安くていい。
 ホテルに戻り、タクシーの手配を頼み、B40、B20と2回 高速料金を支払い
 メーターで、運賃B203で、合計 B263で、安心の空港に到着。
 空港税B500を支払い カウンターに行くと、ホーチミンからの boarding passも
 同時に発行してくれた。

 ベトナムに向かう機中で、半分の距離まで黙っていたが、何かの拍子で、話し出すと
 ペルー人と米国人の混血の男性で、東南アジアは 初めてで、興味深いと素朴に
 語っていた、南米系の旅行者もいるものである。

 ホーチミンに 再び着くと、マッキー氏を 探すも見えないので、バスに 乗り込む、
 ひよっとしてと思い、後の女性に携帯の借用をお願いすると、感じよく、ナンバーを
 入れてくれ 替わると、彼の声で、空港に来ているというので、慌てて 発車しかけたバスを 乗客も声を出してくれ、止まってくれ 降りた。
 といっても 空港は人が多くて やはりわからない、と諦めかけると、見慣れた顔がそこにあった、彼は 香港から来た人の手助けで 航空会社に付き合ったいた。
 その人を連れて、途中降ろし、例の pink Saigon に寄り、荷物を預けて、街に出た。
 ホンさんとホテルの女性に連絡を取ってもらうと、どうもフィアンセに会いに行っているようなので、それでは悪いと思い諦める。
 マッキーと 感じのいい喫茶店で お茶を飲みつつ話す、相変わらず雄弁で、積極的である、暫くいて、ホテルに戻り、空港までの途中の街の 現地人相手の店で、軽く麺を食べ、空港に到着。夜が遅いので、彼がつきあってくれると安心で感謝する。
空港に着いて 暫くすると、ツアーの団体客がどっと来て、もう既に 空気は大阪であった。 こんな時期でも 年配の女性、老人、若い女性と多い。
ようやく搭乗となり、boarding pass からすると 4x の為、前だと気がつき、
機首の方に歩き、後を振り返ると 殆ど 誰も来ない、向こうをみると大勢の人である。
ビジネスクラスの席に案内してくれて、ゆったり座れた、ラッキー。
5時間近くなので、値打ちがある。ベトナム航空ナイス。
何か うとうと していると、関空に、早朝に着陸。
7時の急行に乗車し、9時前に帰宅し、荷物を全て 片付け、シャワーを浴び、午後の仕事に向かった。



soi 89
BTS





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2006年05月07日

サッカー観戦 5

616b356a.jpg5月6日(土)

息子とサッカーを始めて観戦、万博記念競技場は、
18000人でうずまり、2 goal あり、盛り上がった。
観戦者のマナーが良く、好きになりました。





game played




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2006年05月06日

東南アジアの旅 9日目(4月15日 土)3

駅名 アランヤプラテート
列車 1







列車3
tukutuku
 






arannyaplatete town
train map







line to buy chiket
駅 構内








4月15日(土)

昨晩 夜に 食事に出るとき、街の食堂で食べたのですが、其の前に 屋台で
”これが 好物です”といった 小さな貝と卵ともやしを炒めたものを食べたの
ですが、それが 良くなかったのか、心理的なのか、結果 しないで努めていた
ホテルの トイレを 2度 夜中にすることになった。取りあえず流したが、
岩ちゃんは、眠りこんでいた。

朝 5:30に起き、6時40分始発の アランプラテート駅に ツクツクで駆けつける、既に 人が切符売り場に並んでいる。定刻に発車、タイの田園風景の中を、
涼しい風をうけながら走る。
気持ちがいい、広々とした野である。大自然の豊かさを感じるタイ。
これから 5時間も スローライフで、海岸沿いに、内陸部を走ることになる、
チェンマイに 昨年行って以来の 長い列車である。座席はプラスチックのような、
座り心地の良くない、2等車である。B48と運賃は頗る安い。
列車に乗ると、マレー半島を縦断したい気持ちになる。11月くらいに予定したい。

4時間たつと 座っているけつが痛い、沢山のっている、どの顔も日焼けしている
列車は、貧しい人の乗りものかもしれない。
私は 列車が好きなのだが。

やっとバンコクに近づきだすと、決まって 工場や貧しいところを通る、
車内の人間模様を見ながら(インドの列車のような)、ようやく到着すると 
そこは、大きな欧州のような 天井の高い ファラーポー駅である。
そこから 地下鉄、BTSを乗り継ぎ、オンヌー(on nut)駅で下車、市内と反対側
に歩き、soi89で、小道に入り 暫く行くと 住宅街の中に、目指すホテルがあ
った。日本人の経営で、すっきりしていて、かつ宿賃も安い、B170で、a/c なし、
4人部屋とあいなる。トイレが水洗で 普通のタイプ、バスタブもあるシャワーが
部屋の外にあり、石鹸も常備されてあり、ほっとする。
今までの旅は、何だったのだろう。でも 何とでもいける自信はつきました。

日経新聞、インターネット、衛星放送と 狭いゲストハウスだが、申し分なし、
12月にオープンし、 もう一人日本人(社員)とあと若いタイ人。
suhkumvit on nut guest house 66-7-112-1301
岩ちゃんとお茶を飲み、彼は帰る、夜の食事を約束して。

そこで2階にあがり、荷物を少し整理して、所持金の出納と思ったが、
もう 出と入りが 今更無理なので、明日までの必要なタイバーツを確認する。
宿に入りシャワーを浴び洗濯して 明日の出発の段取りをして、岩ちゃんを待つ。
 近くのカルフールともう1件スーパーのあるところの、チェーン店で、タイ鍋をあっさり食べる、最後の雑炊を作って食べる、最も 美味しく、残さず食べた。
昨年3月を思い出す、この鍋の食事も、家族で食べに来ている人が多く、“タイもこういう所は 食事にこられるようになった時代です“といった 岩田氏の弁。
物価が非常に安い国なのだが、私には、昭和30年代と重なる。
当時 市電が10円、きつねうどんが¥30、42年に、丼が¥100だった。

少年の頃 我が家は 父がよく道頓堀に連れて行ってくれたが、彼の信条は、食べるものは不自由させないであった。でも当時は、大半が、食堂で うどんや丼食べるのがせいぜいの生活模様であった気がする。(少年時代の30年〜35,6年)

そんな話しを思いながら、宿に戻り、岩ちゃんとお別れする。
アジアに来ると、遠い異国で頑張っている岩チャンには 会いたい。

昨夜 人は 一人で生きられないので、できるだけこちらから話しかけて 友達を作るような (若い頃 豪州で 教えられた men should be sociable ) 話しをすると、神妙に聞いてくれていた。どんな人も話すと 最初のイメージと違い“結構 話せるやん、いい人間や”てな事が多い。まず声をかける、ここからしか人との繋がりは 始まらない。 私は 少々 お喋りだが。

出きるだけ 頭を柔らかくして、人を受け入れ、話しを聞く。主義主張なんて、所詮そう思っているだけで、未経験の厳しい環境に直面すると 其の主義が瓦解するように思う、人生 常に勉強です。

 部屋に戻ると、欧州人のような若い人がいるので、話しかけると、米国人であることがわかる、発音が どことなく変なので、米国人には 見えなかったと言うと、
欧州で、自分だけが米国人の環境で サッカーをしていたからだろうか と素直な人であった。暫く アンコールワットや ベトナム戦争(彼の父)、宗教の話しをしたが、興味深かった。小乗仏教に興味あるのか、寺に寄宿して、修業のようなものをしながら これから カンボジアに行くとの事で、いい青年だった。
ついでに、ブログで得た文章の 疑問点を聞くと、彼は流石に 解説してくれたが、
いくつかは 俗語であったり、米国では使わない言葉で、英国人だろうと言ってくれた。
昨晩 蚊に体中咬まれたとかで、蚊取り線香を調達して、長袖を着て、コットンのスラックスをはいて、ソックスまでつけて、完全武装して寝たが、眠れて、被害0であった。
同じ部屋の2人もそのようであった、夜は静かに更けていく、明日はいよいよ帰国。
ここは 安全で快適である。エアコンなしで過ごしたので、風邪もひかなかった。


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2006年05月05日

東南アジアの旅 8日目 (4.14.2006)5

給油
地道を行く








4月14日(金)
 朝5時に、4人で 日の出を見に、岩ちゃんの推奨する場所に車で見に行くことになった、この日が、相棒2人とのお別れの日である。
 目指す小山は、登れなくなった(理由を忘れましたが)ので、田舎の地道で見る事になった、少し日が出てから うっすらとほの赤い日の出を見る事となる。
あとで 写真で見ると 美しい光景になっている。
7時に戻り、広いExpressという店で、noodle を食す、7時半には、2人は、
ビソットさん運転(2日間たっぷりお世話になった いい人)の運転で空港へ。
きれいな空港で、そこでもまたネットをしていたようである。其の後のホーチミンでも、
かなり空港のITの設備を検証してきたようです。

我々は、岩ちゃんと2人になったので、8時に出発することになり、国境までのpoipet までの車の交渉をする、$25と言っていたのだが、ソンクランが始まるので(旧正月)
値段があがり、$35となる、どうする、バスは、早朝に出てありません、行くしかないので OKと返事して、車代をビソット氏直接支払い、3日間の宿代と本日の車代を ラチャナさんに支払い、握手して出発した。 ラチャナさんは、言葉も素早く理解して
頭のいい、気のきく女性だった。人のような顔立ちで親しみやすかった。
あとで バックパッカー読本を見ると、若い頃のラチャナさんの写真とタケオハウスが掲載されていた。日本人バックパッカーには、昔から知られた人のようである。

このあと、ラリーのように カンボジア大平原の 赤い土をひた走る事になる。
車で、昼間に 景色を見ながら 大平原を走れる事を楽しみにしていたので、
嬉しかった。唯走破中は、車の揺れが激しく、写真がとれず、隣の岩ちゃんに 何度も顔をぶつける事とあいなった。

最初は 30分程度は、舗装されていて、その後 bumpy road と 欧米人blogで書かれてある道をひた走る事になる。

地道を走行する中、小さい街で、給油をすることになり、村というか、カンボジアの街を体験する事になる。
途中見た村落は、100年以上前のようで、子供は裸足で、家は 細い木の枠組みに 木の葉を乗せたような、村の起こりは このようにしてできるといった家々である。
人は、どんな風にしても生きていけるものだなと妙に納得する。土地は肥えていない気がする、何より 暑すぎる。
ポイペトに近づくにつれて、最初の北朝鮮のような印象の人々、荷車を再度目にする事になる。子供たちが 車に、人に 小さなビニール袋に水を入れて 投げている。
かわいいソンクランの祭りである。
タイ側の街に入ると、もっと凄い仕掛けなのだが、貧しさからであろう、ただ この
東南アジアは共通して、ソンクランの祭りを同時期にしている、共通の文化である。

ポイペト国境で、車を停めて、大きな建物に入る、これがカジノであると岩ちゃんが教えてくれる。タイ人の金持ちがわんさと押しかけていて、大盛況である。
カジノは、アジアに かなり作られているようで、日本のみが ないようである。

そこでB500 か B1000位でとまれるようである、暫し見学して、昼食をとる、
タイ人の家族が、かなりの食事をしていた。昼から食べすぎに見えたが、チップをB3000
買うと、食事は無料のように、本には書かれていた。
かなり疲れた感がする。
通関後、これが妙に長いというか、処理が遅い。
そのあと、岩ちゃんが タイ語で、ツクツクと交渉し、B80 位で交渉し、街まで走ってくれる、街に着くと、ソンクラン真っ盛りで、水をかけまわっている。入り口の手前で降ろされ、宿まで 歩くことになる、旅人には、かけてこないというか、避けるように歩き
宿に着く。他に宿は1,2しかなかった。またタイ語で話してくれて、B200 という
これまでで最安値で泊まれる事となる。部屋は広くて、twinであった。
荷物を少し整理して、階上のテラスから下を見ると、通りが車と人で一杯で、大音響の音楽と水掛けで大騒ぎの様子であった。

ホテルのネックは、東南アジア独特のトイレで、和式の前の隠しがなく、少し小さめで、
紙は 便器に捨てないように、岩ちゃんから注意があり、例の柄杓で、落としたもの目がけて水をぶっ掛けるのである。これは なれないと少し難しく、何より、使った紙を 屑箱に入れておくのがかなり厳しい。

岩ちゃんが い眠っているので、持ってきた みかんに、リンゴを食べて、階下の祭りの状況を見聞し、一人で 通りを歩いてみると、小さな町で、コンビニがここにもあり便利である、顔に白い粉が塗られていて、旅人には、ちょっかいしないが、道路で若者が 狂ったように踊っていて、今もそのリズムが思い出される。良く見るとビール瓶をラッパ飲みしていて、これは危ないかもと思い、気をつけて 観察して部屋に戻る。

夕暮れになっても ガンガンやっていて、治まることがない、消防車の放水もあり、街公認である。夕暮れの光景が、南国独特の夕暮れの景色を思わせ、一人テラスに佇み
見とれていた。心に深く残った光景であった。



ソンクラン
SUNSET





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2006年05月01日

アジアの旅 7日目(4.13.2006) シェムリアップの街を自転車で3

ankol dannce
raffles hotel







early morning in siem reap
riverside, god bird








4月13日 (木)

サンライズを見に行く予定が、皆の5時起きも難しく、起きたのが6時頃になったため
岩田氏と街中を散歩する事になる。まだ涼しく 河沿いを歩き、待ち合わせのラッフルズホテルに行くと、そのあたりはヨーロッパで、花が美しく咲き乱れ、芝生は整備され、
散歩に出てくる人もいた。
ホテルの近辺以外は、カンボジアで、整然としていなく、舗道のようなところ、店、ホテル、ゲストハウス群、ホットドッグ売りの車、散髪屋と ゆっくりと1時間ちかく岩田氏との時間を持つ。
朝食も近くで食べ、きょうは まったりと個別行動をする事になる。
自転車を$1で借り、街中、オールドマーケットに行くことになる、午前中は、かっちの
骨董品コーナーを見る。虎の牙なるものを見せてもらうが、信憑性は定かでない。
店の女主人は、凄く商売人で、買い手を帰さない積極性で、カンボジア人には見えなかった。 そのあと、ガイドブックで見た、インドの有名な名前も模した ‘タージマハル’で カレー味を正味する事となる。チリーといったものが、かえって汗が出なくて、
かなり洗練された味で、大阪のインド店でも経験するような仕上げであった。

二人は、戻って、ネットで涼しく過ごし、小生は、その足で、また 散髪やを探して
うろうろし、2週目にやっと見つけ、$1で カンボジアン カットを バリカン主で
仕上げてもらう。仕事は丁寧で、子供の頃の散髪屋にそっくりだった。
アジア人は、こういう仕事は共通性があるのを認識した。
帰り、方向を間違い、やっとの事で ホテルにたどり着く。

夜 また 今度は3人で、チャリンコを飛ばし、街中へ、old marketでは、ゴミだらけの
通路を、全体で 掻き出している光景を見て、アバウトな国民性に思わず納得。
その都度 きれいにしない人々である。
少し やばそうな所も小道を入ると、ソンクラのせいで、大勢で焼肉らしきものをして
楽しんでいた。
夜間は、危険の為外出は禁止とのガイドブックでのコメントだが、うろうろして
状況もわかり、美味しそうな、餃子の店で、テーブルに座り、一時食す。

夜の食事は 最後ということで、ホテルの西洋的な店で まともな食事を軽くとり
終わる。ワインやシャンパンで、
食事中 昨日会った スペイン人カップルに話しかけられ、小生忘れていたが、
相棒が思い出してくれ、慌ててテーブルに行き、暫し 昔ならったスペイン語を多用して、話に花が咲いた。

明日は それぞれ別れの日である。



manngo purchase
in the city





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