2005年10月

2005年10月31日

日常の 小さな事

昨日 妻が パートに行くので、朝早く起きて、弁当をつくってあげました。
先週 初めてつくってやると、朝起きてきて、”感激した”とか言われたので、
そんなものかと思い作りました。9色とフルーツつきなので、頑張って頂けるでしょう。 物干しが朽ちているということで、DIYの店で 簡易タイプを買いましたが、半日がかりで完成させました、充実した一日でした。

dohongrose27 at 10:56|PermalinkComments(2)TrackBack(0)daily life | daily life

2005年10月29日

7日目 バンコクに戻って(王宮)

a href="http://livedoor.blogimg.jp/dohongrose27/imgs/6/e/6e4807fa.jpg" target="_blank">王宮 像
王宮の 人間+ 鳥













人間 鳥の像の列












3月22日

取り敢えず覚えていた道に戻りバス停の道に立ち#53に乗る、何故かその間ロンドン在住のフランス人が、バスを降りてから、次のバス乗るまでついてきて、頼られた。
彼は当日空港に行きたいがバスで行きたいようで、少し高いが200出せばいいのに、
バスの100Bにこだわって、聞いたり、ついてきた。
日本人は金銭にあっさりしているが、彼らは細かい、というより無駄な動きをする。
方法は色々 場面場面で組み合わせる事が必要である。
中央駅に着き、次の#46のバス停が解らないので、何度か尋ねると、やっとそのバス停がわかった。少し離れていて、通りをわたったところで、#46に乗れ、かなり気をつけて覚えのあるビルで、ボタンを押し、無事帰れた。
見慣れた通りに入り、ホテルに着く、安心感が出てきて、本日の宿代とデポを支払い、
部屋に戻り、衣類荷物を整理する。かって知ったところで、早速衣類を洗い、屋上に干し、シャワーを浴びて着替えるとすきっとする。

前日I氏に電話しておいたが、再度電話したら、こちらに来てくれるとのことで一安心である。
談話室の中で少し話し 王宮に出かける、今回クーラー付きバスに乗り、8Bだが
快適である。降りる位置を違えかなり遠回りをして白い壁に囲まれた王宮にはいる、
b300位だったが、中に入ると大変立派な、金ぴかのボゴタがあり、ワットと呼ばれる塔は、金色に輝いていた。一番のメインのお堂にはいると、中は涼しくたくさんの人が座っていた。賽銭をいれ、暫く座り外に出た。廊下に絵が描かれていて、ざーと見た。
早速 携帯のデジカメで写真を撮るが、今回非常に役に立った。
携帯は取られても 安い価格で機種交換すればいいのでいい。
衛兵を見たり、銃や刀等が展示されていて見学。
昼近くのため、食べるところを探すと、適当にきれいな所があり、そこでスープなような
ものでご飯を食べる。時間の関係で早く切り上げたが、1日時間がいるだろう。
タイの日本人会の事務所に行くため 高架を走る電車に乗る、非常に快適である。
降りたところはオフィス街でビルが多く、日本と変わらない。
あまり参考にならないので、次に又ボートに乗る、水上交通ということで、渋滞がなく、ジムトンプソンの家に行くこちらもb300位と高いが、彼の住んでいた家屋ということで、置物とか調度とかなり興味深かった。英語のガイドと日本語とあり、日本人の団体が来ていて、少し騒がしく、冗談を言っていて、上下関係をつけた会話であった。
妻が王族の人で、彼女のベッドはちいさかった。ドラマになりそうな生涯である。
家の周りの庭を散策し、独特のタイ式家屋を見学した。
そのあと、大学を見たくて、また水上バスに乗る、学食で、食事を試してみたが、
辛くて食べられなかった。
帰りバスに乗るが、渋滞していて、また水上バスに乗る。その内日が暮れていく。
結局 地下鉄とバスを乗り継ぎ、ホテルの近くのカルフールで食事を取る、
鍋物と一品をとり適当に食べ、お茶を飲む、お茶の内容で、いさかいになり、
お互い気分悪くしたが。色々と説明し、11時くらいに別れたが、くたびれました。


衛兵狛犬

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2005年10月27日

3月20日  チェンマイ3日目

21日
本日の夜、バスで移動するので、朝 門の近くで、トーストの軽食を取り、
銀行で、US$80位をバーツに替え、手持ちとして ホテルの精算をする、
思っていたより高く、一つずつチェックし、一部を指摘して訂正してもらい精算する。
精算のあと、昼食をとり、荷物を預かってもらっていると、昨日の日本人ビジネスマンを見かけたので、テーブルに呼び、またひとしきり話をする。

夜や朝は十分涼しい、クーラーにいると風邪を引くそうで、これが気管支にいくと
かなりひどくなり治らないらしい。
熱帯モンスーン地域では風邪は禁物とか。水分を良く取り、食べ過ぎないで、
トイレをしっかりすると良い。
交通機関は、バス、タクシ−、BTS、地下鉄、水上バスと色々利用して状況把握が大切。

彼がまた散歩するので見送り、小生も廻る事にする。
一度 タイ式伝統マッサージを経験してみる必要もあり、確認してみると、
近くの非常にきれい所は、1時間400Bと高いので、ゲートの近くまで行き
その中を過ぎたところすぐに、大々的にやっているところがあり、B200なので、
1時間でやって貰うことになる。男性の方が良かったのだが、おばちゃんにお願いした。
別室で、下着の上に薄い上下に着替えて、足の急所に沿って揉まれるが、かなり効く。

丁度 ストレッチと日本の指圧マッサージと合わせたものである。
何故か足ばかり揉まれたようで、追加を何度も催促されたが断り店を出ると、
かえって足が痛くて、良くなかったようである。
足の筋肉を伸ばしながら指圧していくのが特徴であるが、日本に比較すれば格段安いが
それ程安い気もしなかった。
その後メールをしたり、ソフトドリンクを飲んだりして、暑さを避けながら夕方まで過ごし、また同じ所で前日食べた食事を取る。
素材は、.シュナッツ▲船ン小さくネギぅ織泪優ゥノコΕ圈璽泪鶚Ю屮圈璽泪鵝平匹ぁ砲累屬疂と ライス B60。
業者のピックアップを待つ。
2,30分遅れてやっと車が来た、支払いの証明を見せ、後ろに乗り込むと若い欧米人ばかりで騒々しく、これは失敗だったと思わざるを得なかった。
堀の近くに止めてあった2階建てバスの二階に乗り込むが、かなり狭く、あまりリクライニングができないのでそれ程快適でない(後日 友人に聞くと、当地では最新のバスで、
珍しいとの事)、隣に若い男が乗り、3人連れで、いきなりワインのラッパ飲みで仲間に廻していて、車の中でのうるささをまた持ち込んでくる、やりきれないなと思う気持ちと
トイレに行きたい気持ちが重なり、落ち着かない。
一つ面白かったのは、生きた英会話で、後ろの座席に座った米国人と豪州人の会話が
最初の挨拶から、旅の旅程、大学の話、アジアの話、家庭、将来と色々とテンポよく話していて、最初の1,2時間は、かなり理解できて良かったが途中解らなくなり、その内集中力がなくなり疲れてきたので、わからずだった。やはり難しい。
トイレも中に有ることをしり利用して、随分らくになり、夜中に売店件食堂のような所で
とまり、適当に食事をしていた、皆何でも食べるものである。
窮屈と思っている内に眠っていて、気がついたらもう半時間程で、カオサンに到着と言うアナウンスで(というより、タイ人がやかましくいうのでわかる)
眠れるものである、我ながらタフになったのかもしれない。
到着後 荷物の出しかたで、柄の悪い日本人男女がタイの作業者と喧嘩になり、
感じ良くなかった。道路はかなり整備されていて、アメリカに似ていた。
バスだと かなり早く9時間程度だったように思う。

部屋のトイレ&シャワーチェンマイ〜バンコク 間の高速バス(外国人向け)








バスでの 途中 レストラン



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2005年10月26日

バンコク − アユタヤ −チェンマイへ (3日目) 飛ばしました

列車の中
アユタヤ の 焼きそば







ayutaya 駅前










3月18日

2日目の夜 10時に眠りについたが 睡眠剤飲まなくても朝の3時位まで眠れた。
その時間に誰かが戻ってきて ガタガタうるさいので、ベッドから起きて直接 その人間にむかい”静かにしろ”と言って近くまでいくと、不承不承返事をして、それ以降
気を使って整理をしていた、あとで トイレに行く連中がその都度こちらのベッドを
覗いてきた。珍しいのか。嘗められても困るし、盗難よけにもなると思い。

4時半になると、タイ女性の従業員が起きてきて掃除をしだした。
2時半の列車だが、夜中考えていると、列車で同じ方向のアユタヤがあることに
気づき、やはり行きたいなと考え、いったん目が覚めると、6時と7時に列車があり、
そう考えると何としても行こうと思い、従業員に迷惑がかかる事を思い6時まで待つことにした。洗濯ものを取り、荷物の整理、洗顔、ひげ剃りと全て終わり、満を持して、
ドアを開けて、鍵を返却し未だくらい中外に出た。
バス停で待つことすぐ、#109が来たので、”ファランポーン”と聞くと首を振るので
やり過ごし、まもなく#46が来る、なんと満員で、ステップを上がった所すぐに立つ
料金とりにくるので、B5わたす、もう慣れている、小さい受け取りの紙を受け取る。

バスが走り出すと、まもなく夜が明け出す。人が多いのに驚く、その人達の為に、
野外の食事の準備をしていて、市場も人で一杯で、殆ど寝ていないのではないかと
考えてしまう。

6時半位に着き、昨日来たファランポーン駅の中に入る。
結構人が既にいる、窓口で 購入済みのチケットを見せアユタヤで途中下車できないか
確認するが、英語が通じないので、隣の窓口の人に確認すると理解され、アユタヤまで
たったのB20で、別の切符が購入できる。1時間半の工程で60円とはかなりの安さである。食べ物を買いたかったが時間が気になり、かつ食べれそうなのがないので、
列車番号(carriage No.)を聞いて、飛び乗る。列車は、そこそこ人が乗っていて、外を見ると プラットホームが、線路とあまり段差がなく珍しいので携帯のデジカメで写真を撮る、少し時間があるので、慌てて水のみを買う。朝食なくとも水でも飲めれば。
予定通り7時ジャストに列車がスタートした。
アユタヤまでこれで行ける事になった、持参の時刻表を見ながら、やればできると自信が出た。夜中に起き出して、6時に出たのは正解だった。
 最終の駅の前に、途中バスを降ろしてくれたが、かえって気を遣う、
 途中で駅を聞いても、誰も何もわからない、凄いところです。

 兎に角 列車は予定通り走り出す、暫く走って駅でもないところで止まり検札に来た、
 ダイヤとは違う駅名で止まったり、空港近くの駅で止まらなかったりで、時間を見当に
 目的地を考える。 車内は上に取り付けた扇風機がまわり涼しい、27,8度くらいか。
 窓は開けっ放しのため風が入る。
 一歩バンコクを出ると、緑が多く美しい。
 8時半の予定よりかなり遅れて、9時前に アユタヤの駅に着く。
 改札も何もない、どこで降りて道路にでてもいい仕組みである。
 アユタヤ 涅槃 ><アユタヤ駅














アユタヤの駅は、タイムスリップしたような古ぼけた小さな駅だった。
 かつての王朝の都とはほど遠い雰囲気だった。
 駅を出ると簡易の軽自動車の後ろが荷台になって幌つきの車の運ちゃんが客引きをする、
 それをやり過ごして駅前の屋台の、青空レストランの方に行き、朝食をとりに歩く、
 駅の前が、小屋のようなものが並んでいるので、小都市の雰囲気もない。
 田園風景としもた屋の並ぶ小さなアジアの町である。
 日本人かと思い話しかけたらマレーシア、ペナンから来た若者4人組であった。
 アレクサンダーとなのる王さん以下男子2人、女子2人の地方新聞社勤務の人達で、
 何故か日本人より中国人に話しかけられやすい。
 王さんが外向的でテーブルに来ないかとのお誘いで食事を共にした、
 アイスコーヒーをおごって貰い焼きめしを食べた。ここだと食べやすい。
 焼きめし B25、コーヒーB20と安い。
 インドシナ半島を当初縦断する話で、ハジャイが危ないので取りやめた事を話すと
 ペナンが、ハジャイから近く、良く知っている話であった。
 彼は 日本に興味を持て居て、色んな事を聞いてくれた。
 ’すし’が好きだとかいうので、すし について説明をしてあげた。
  彼は英語がよく話せ 意志疎通がスムーズであった。

 マレーシアから出て働く事も考えているが 難しいとのコメントであった。
長男と同じ歳で明るく聡明そうな青年だった。
一泊して10時30分の列車で、場所を忘れたが、バンコクを旅行しているようであった。
話が終わると、自転車で(B30/1日)廻ろうと思ったが、いかんせん暑すぎる。
唯 2:30バンコク発のチェンマイ行きの列車は、4時過ぎにアユタヤに来るので、
時間がありすぎ、ツクツクに乗ることを交渉して、遺跡を見ることにする。
最初 ゲストハウスに行くと行って、町を案内させる。
日本人が経営していて、B450と高い。日本人の若い娘が泊まっていて、気楽に話している。1時間B100の約束で、市内を見たあと、遺跡見物となる。
横になった涅槃仏があるというので、その気になった。
顔が崩れていて、大きいが大したものではなかった。
次に遺跡群の所に行くと、なかなか味のある独特の土と石の文化を感じさせた。
日本人の親子が見物に来ていて写真を撮ってあげた。
外国人が多く観光に来訪していた。かなりの数のパゴダがあり 赤い煉瓦の連なり、
積み重ねが特徴であった、400年近く経ていて朽ちた塔が嘗ての栄華を忍ばせる。
次に 山田長政の記念館に行ったが、特別彷彿とさせるものがなく、かつてのアユタヤの
地図がその時代の都市であることを物語っていて、その当時の世界との繋がりと
関連づけると大きな都であった事を知る。
大きな池が前にあり、静かな所と言う印象であった。
このアユタヤは、インドに始まり、中国、琉球、オランダ、タイと関連があり、
かつてはマレーシアだったような、複雑に歴史とからみあった町であった。
ココナツのジュースを初めて飲んだがB20だった(確か万博で800円もしていたが)
1時間近く廻れば十分な町であったが、駅まで戻ってもらった。
チップを要求されたので、払わないと思ったが、それも悪いと思いB10硬貨を一枚
わたすと、鼻で笑われた。チップとは、本来この程度だと世間の厳しさを教えたつもりだったが現実はそうでなかった。
このアユタヤは、ツアーだと半日コースだが、1日の料金でツアーが組まれるのでしょう。
あとで考えるとレンタバイクでB30なので、じっくり全て見て回っても面白かっただろう。唯当日は頗る暑く、気張ると倒れるでしょう。
アユタヤまでは、列車10本くらいはあるようである。
そのあと 昼食を取るために、一角の店に入り、ヌードルを要求すると、
野菜と米の透明の麺を炒めたもので油が多かった、上にピーナッツの粉になったものが
のっていたが(後で聞くと、捨てる部分のようである)時間をかけて、最後まで残さず
食べた。叔母さんの調理を見ていると、油も良くなく、あまり清潔とも言えないが
そんなものだろう。この気候にはあっているのかもしれない。
その見せで、1時間以上ボーと過ごしていたが、その間来る欧米人の客は、バイク、
実際のバイク、自転車が多く、何故かヘルメットをつけさせていて、食べ物は、
水しか買わないようで、殆ど読める、その叔母さんが何故か英語を喋る、聞いてみると
この仕事で覚えたようである、立派な国際人である。
この地の観察したことを言うと、’よくわかるね’と感心された。
じっと座って見ていると誰でもわかる。
偶々 1人旅の学生が熱心に地図を見てしつじゅんしているので、自転車でゆっくり見ることをすすめる。1人で旅している学生は、しっかりしているように思う。
2時間近く 唯駅構内で、じっと座って待っていた。その空気、人々、町の様子と
時が止まったような空間にただぼーと待っていた。
3時半位には、列車の確認を窓口でする。
4時なる前に、近くの女性に話しかけて、列車の確認をする。
この事が後で助かる事になる。
暫くするとアナウンスがあり(全く言葉はわからない、駅名も確認できない)列車が来るので、皆が席を立ちプラットホームで立ち、多くの人がレールをまたぎだしたので、
こちらも後をついていったが、先程の女性がチェンマイは、もとのプラットホームを指さしたので、もとに戻り列車が到着したので、チケットの表示のcarrier No.に乗り込んだ、
慌てて席を立った人がいて、その席が自分の席だった。
少し粗末な座席で、やはりなと思いながら、座って 大開にした窓からかぜをうけながら
車窓からの風景を見ていた。
途中暗くなるまで、ずっと2時間以上景色を見ていた。
南方独特のような木々や、米作の美しい田畑、単なる荒れた地や繁茂する草木を
目にして、こういう景色を見たかったのだろうかと思った。
インドシナ半島縦断列車もこういう景色だろうと思う、より暑く、南方的で、
海が見えるのが相違点か、この列車の時間がアユタヤから13時間なので、
丁度半分くらいと思う。 隣の席の若いカップルの顔を見ながら、乗客の雰囲気も
解ってくる、皆タイの人々である、家族で息子との旅行、ビジネスマンと様々だが
のんびりした状況である。 途中の小さな駅は、非常にきれいで、花で美しく飾られていた。お腹が空いて食べたいが、何かわけのわからないものばかり売りに来る、
どれも脂ぎったもので、食べれそうにない。
もう諦めていると、ご飯に目玉焼きとミンチの載ったサランラップでまいたようなのが
来たので、迷わず買う、20Bと安い、必死で全てタイ米を食べきった、まだ腹が減っているが良しとせざるを得ないというか、大変美味かった。
それにて夕食終わり。夜に近づくと、正に夜で真っ暗になっていく、途中 村になると小さな灯りで、人恋しくなるような夜である。田舎道の踏切、通過を待つ車、単車と少年時代田舎に行ったときのような風景である。そのうち虫が入り出すと、急に 寝台作りのプロが表れ、叔父さんが窓を閉めだす、暑くなる、車内の扇風機のみとなる。
次々寝台を作り出す、乗客がその動作を見ていて感心している。
手早い、この国でも手早く仕事をしないといけないようである。
最後に私の席になったが、なんと梯子の一本が掛け落ちていて、足が短くて上に
上がれない、下から押されて上に上がったが、降りるとき怖いなと思っていると、
若いカップルの男性が代わってあげるということになり、上同士交代してくれる、
優しい人達である、感謝をいうと女性の方が笑顔で答えてくれる。
上に上がると暑い、カーテンを皆閉めていて品がよいが、小生は暑くてたまらんので、
顔のところと足のところを開けて、フルオープンで、その内 パンツ一つになり横になった、誰も見てないのでいいだろう、これだといける、眠り薬を飲んだが、その内眠れて
朝5時前に目が開いた。真っ暗な中を列車が走っている、髭をそり、歯磨きをして
居る内にもう到着である。
若い人がデッキに立って冷たい風を思い切り受けている、これはかなり危ないなと
思いながら、その人の後で、マネをした、何事も体験なので、かなり怖いものである。

tuk tuk w/driverpagoda2
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2005年10月25日

3月20日 チェンマイ (5日目)

tapei gate in chiangーmai







3月20日

 朝早く起きて、自転車で堀に囲まれた街中を通り、列車の駅まで走った。
 朝早い事もあり、taped gateの中に人が集まっている、その中で
 サイクリングのメンバーが居て愉しく語らっていた、そこで皆さん バナナ、
 パンを食べていて、どこも同じだなと親近感がわいた。
 駅まではそれ程遠くなく、こじんまりした街であることを知る。
 朝早いので、涼しく快適なスピードで走れた。
 中心部は、インターネットの店が多く、食事の店がくっついていて危なさはない
 安全な街である。
 朝 洗濯を頼む(適当に頼んで小銭を落とす必要もあり)、ついでに昨日のトレッキングで運動靴が汚れたので洗って貰うことにした。
 お陰で ゴム草履で自転車に乗ったり、街を歩くことになる。
 昼食をとっていると、近くに日本人が来たので、話しかけるとビジネスマンで、
 休暇を取って来ているようで、バンコクは何度も来ていて、詳しいようであった。
 チケットの種類、購入の仕方と情報を得た。
 大阪−バンコクの オープンチケットを購入し、バンコクで、バンコク−大阪−サンフランシスコの往復を購入し、最初のチケットの”復”をすてる。帰りは、新たに買った
チケットで大阪に帰る。次回は、大阪→バンコクが残るので、それでバンコクに行き、
同じように必要なチケットを往復で買う。そうするとバンコク往復とは別途に、
大阪→米国が、1年以内なら往復、無料でできることになる。
これは あくまで1年以内にまた使うという条件である。
唯 最近は日本でのチケットの格安がかなり安く、世界で最も安いレベルに来ているとか。
この場合のフライト予約は、直接航空会社にbookingする、会話としては、
「大阪から米国で、予約した」といい、空いてる日の確認、その時「航空券ありますか?」と聞いてくるので、「アル」と答えればいい。こういうスタイルで予約するのは、
個人旅行ができるから、できるものである。
お返しに彼には、企業での今後の働き方、スキルの上げ方を、これまでの経験からアドバイスしてあげた。

2日目は、最初の日に、トレッキングというイベントの経験を先に済ませたせいか、
時間とお金のかかる、中身の濃い過ごし方を先に済ませたので、あとは街を適当に
ゆっくり見ればいいので気分は楽である。

このトレッキングのツアーが、最近地方都市での過ごし方の主流になっているようである。
このパターンで、2、3日のコースもあり、訪問した村の民家で寝るのであろう。
そこでお金を落とすわけだから歓迎される。
ガイドの仕事も、いつも同じ言葉で、同じジョークをいれるのだから、小生でもできそうである。

一端戻り、ネットカフェのあるターペー門の前のレストランで、ネットでメールをする。
日本語のOSがあり、頼んで設定して貰う。涼しい店で紅茶を飲みながら街を歩く人達を眺める、欧米人が多く、旅行者が歩いているばかりである。
女性は、胸を出した薄い衣類で闊歩している。

昼からまた自転車で、街を廻りだしたが、非常に暑くて廻っていられない、
パンやさんで休憩したりしてまた戻った、遠出はむりである。
人が集っていた市場があったが、中に入るには多すぎてまた戻った。
ゲストハウスに戻ったり、出たりしていて、ゆっくりと過ごしていたので、街の様子がかなりわかった。コンビニがかなり浸透していて、不便さが感じない。
暇なので、向かいのホテルのプールで泳いだ、豪州、英国の人がいて話しかけたりした。
トランクスで泳ぎ、濡れたあとはそれを脱いで、半パン一つでテーブルに座って気楽にしていた。友人が休みが取れないので、先に来て友人が後で合流して遊ぶ人もいたり、
安い休暇をうまく使っているようである。

これまで食事に気を使い、あまり食べないようにしていたが、夕食は、久しぶりにたくさん食べた、ご飯2杯食べ、副食も2品も頼み満腹となる。
結果食べ過ぎて調子がよくなかった。夜に 今度は、駅まで歩いていった、
夜なので、ターペー門まで行ったのだが、衣類の夜店がかなりでていたが、そこを通り過ぎもう少しと思いつつ、駅まで歩いてしまった、45分程度かかり、汗ばんだ。
少々怖い感じもしたが、しっかり早く歩いたので、誰も近寄らずで無事であった。
反対側の門を過ぎ、橋の手前に、13,4世紀にこの地を築いた有名な僧侶の金ぴかの銅像が立っていた。当時の君主に重用され、この地を守ったようである。
駅に着くと、タイの鉄道地図が張られていて、鉄道はカンボジア、マレーシアに伸びている。チェンマイの途中からチェンライという地にまた支線が伸びていた。
地図を眺めているとアジアを更に実感した。
歩いている最中に、スポーツ中継をしている海鮮料理の店があり、多くの人で賑わっていた、牡蛎やエビという食材が豊富にあった。
歩いていてかなりの店や夜の風景を見た。
アルコールも飲まず、遊ばないので自己の抑制ができ、危ない事はなかった。
帰りにバザールの城内に入るとさすがにほっとした。
途中 バーで酒を飲んでる欧米人、いかれた奴といた。
9時半位に戻ると、女主人は既に寝ているとのことで、こちらも早々に引き上げた。
こちらも10時過ぎに部屋に戻り、日記を書いて眠ることにする。
チェンマイ 象に乗る山岳少数民族の家

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2005年10月24日

花の淡路島

awaji-shima  10.10, 2005 bridge










10月10日

家族で、久しぶりに 明石大橋を渡り、淡路にいきました。
花の公園を見ているとゆったりした気持ちになり、海鮮の定食を食べて
魚も満喫しました。
野島断層を 見ておかねばとの妻の助言により 見学しましたが、凄いものでした。
こんな平和の島が、の思いでした。



awaji-shima  10.10, 2005 野島断層awaji-shima  10.10, 2005 002.jpg son n wife












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2005年10月23日

キャリアコンサルタント勉強会4

テーマ: 交流分析入門(TA) : 講師 勉強会 仲間

期日 :10月22日(土)
場所 : 大阪労働会館 (エル大阪) 9:30〜12:00am

     機々渋な析 
         エゴグラム ――― 自我の分析
     供仝鯲パターン分析
     掘.押璽猜析
     検仝鯲分析
    の 内、 今回は、構造分析を説明。
     エゴグラム(SGE)を各自やり、CP,NP、A、FC、ACの数値を出し 
     解説した書籍で評価確認、かなり精度の高いものであることがわかる。

     自我、イド、超自我の人格の3領域から基本原理が成り立っている―――。
        ( 出展 ; 産業カウンセラー養成講座テキストより。)

     コンサルタントとして、メンタルの面からの入り口を勉強しました。

     自分の性格というのは、わかっているようでわかりません、心理学者 フロイトの基本原理から、エゴグラムを実際やると、自己の弱点を知り役立ちますし、
人との相談にも より的確なアドバイスに近づけます。


dohongrose27 at 08:18|PermalinkComments(2)TrackBack(1)コンサルティング | コンサルティング

2005年10月21日

聾唖学校の始祖 ロイスクレーマー

今朝 ラジオ深夜便 の 心のたび を 聞いていましたら、(時々聞いています、4:00am〜です)

聾唖学校の始祖(founder)の話しがありました。
その人は、ロイスクレーマーという 米国の宣教師で、85年の生涯の 内
40年近くを日本で暮らし、ライシャワーが作りかけた 聾学校を、
ライシャワー・クレーマー学校として、設立し、聾唖教育に捧げた話しでした。

戦争中、東京の収容所の中で (S16.12.8〜終戦) 生活していたようで、
70kgの体重が50kgまで痩せたようですが、天窓から入る 光に 希望を持って
生きていたようです。〜交換条約のようなものがあって、本国に帰れたが、自ら希望して
収容所で暮らしたようです。

一つ 事実を知りました。


dohongrose27 at 05:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)心の旅 | 心の旅

2005年10月20日

ブナガ岳

比良 登頂すすき













10月16日(日)
比良山最高峰 武奈ガ岳を友人と登りました。
スキーリフトが廃止になり、人少なし。
頂上は 既に寒く、秋深しを感じさせた。
9:00から登り12:30に登頂、4時過ぎ 車のところまで下山せり。

これまで3,4度と登ったが、青がれ が相変わらずきつく、
金糞峠は、良い名前である。

ススキが美しかった
比良 ブナガ岳 青がれ途中 休憩(比良)








山並み

dohongrose27 at 09:57|PermalinkComments(2)TrackBack(0)ハイキング | ハイキング

2005年10月19日

3月19日(3日目 チェンマイ)

早暁のチェンマイ駅の低いプラットホーム










3月19日

チェンマイに着くと、暗い構内を歩く、サービスカウンターの叔父さんと話しをするも
全く通じない、暫く様子を見て、1人の車と交渉して、宿屋をさがしてもらう。
これはダメあれはどうとかいって、走らせている内に明るくなって町が少しはわかる。
結局1件 まずまずだったが、B300の価格に首を傾けていると、前のホテルを紹介され、中を見て、従業員も感じよく、B50安くなり、もう面倒くさいので決めた。
支払いも出る時でよいと、日本に居たこともある女性主人が親切なので、決めた。

早速荷物を紐解き、洗面用具、衣類と出してもう一つのベッドの上に置いて整理の類を
して、早速出かける用意をする。
というのもその前のホテルでツアーデスクがあり、面白い女性が日本語で話すので、
トレッキングツア−があるといい、B1000と少し高いが、運動靴でもいいようだし、
アジアでのトレッキングなるものを体験しておく必要もあり申し込んだ、
カードでokだったのも助かる。チャンスを逃すと意外と経験できない事を思っていたので、着いて即決めた。

お陰で最初にやりたいことを済ました感じであった。
それようの車が来て、なにやら英語を喋るガイドと仲間の2人が来て、
顧客は、10人程度で、スタートする。

偶々 若い日本人3人(歯医者の卵)がいて、これまでの経験をしてくれた。
話を聞くと、皆 簡単に東南アジアを経験していて、中国から入り、ベトナム、
カンボジア、タイと旅をしているようで、今回タイに来るまでは、かなり難しいもので、
簡単には決心のつかない個人旅行と考えていたが、手の届く、自分でもできそうな
夢が現実になる印象をうけた。

こちらは かなり細心に注意深く考える方だが、若さゆえの軽い思いつきと行動力が
うまく廻っているのであろう。ネットの普及も、色々最近の状況も情報としてとれる。
何か 猿岩石というタレントが、アジアを旅行したようである、それが簡単に見えた
ようで、それ以降若い人のバックパッカーが増えているようである。


そうこうするうちに、山の麓に到着、早速ハイキングのようである、ここまで来て
ハイキングするとは思わなかったが、欧米人は、逆にしんどい目をして、汗をかいて
ツアー代としてお金を払うのが好みのようである。
様々な年代層で、フランスのニースから来た60前のおじいちゃんは、かなりばてていた、
こちらは、普段から毎日1時間歩いているので、若い人と変わらない。
愛媛のNovaで働いているという米国人男性、その彼女(英国人)が 感じよく
若くていいカップルで、仲良くなった。日本語を話したいらしい。
得意の欧米人に分かりやすい日本語をはなしてあげると結構喜んでいた。
小生の仕事outplacementの仕事に興味あり 教えてあげたが、元々米国のビジネスだが
男性のJayは、全く知らなかった。米国のシステムを本国人に教えるのも妙なものである、
シカゴに帰り、先生をするようで、ビジネスの世界は殆ど知らないのでしょう。
一時ニースの叔父さんの疲れが回復してまた登ることになり、山間部の少数民族の部落を
訪れた。うらぶれた音楽、野放しの鶏、子供達、民族衣装の年寄りと見る。
みすぼらしい木造の小屋に住んで、手作りの布、木工品を販売。
小さいエレファントを購入、誰も殆ど買わない、欧米人はいつもこんな感じである。
また、下の車に戻り、今度は 圧巻の象のところに行き、象に乗る、一度は経験である。
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チェンマイ 象に乗る山岳少数民族の家10数頭の象が行き交うのは圧巻である。水飲み場に下りさせ、川縁を歩き上にあがり、









餌場に行き、バナナを食べさせる1時間程度のコースで、皆さん満足である、
カメラを取る人がいて、後でB100で買わせられる事になる。

そのあと昼食ということで、木造の板張りのところで、野菜中心の食事をとる
あっさりしたランチで食べやすい。その後水遊びで、自然の中での川の途中の池の様なと
ころで、泳ぎとなる、海水着持参していなかったので、泳げなかったが、殆どの欧米人、タイの人と泳いでいた。英国の叔父さんにあとで聞くとパンツで泳いでいたようです。
残念! その後 今度は川下りです、木津川下りなら3000円しますが、こちらは安い、
2,3人が、一つの竹の筏に乗り、船頭が一人先頭で漕いでくれる。
途中 地元の人が水遊びをしたり、小屋の様なところで食事をしてくつろいでいたが、
17,8歳の女性がたちが悪く、悪戯で筏をひっくり返しそうで、びしょびしょに
スペインの中年がされていた。結構これで時間が費やされ、一日コース終了となる。
最後に、若いカップル、英国人、隣の日本の若者とメールを書いてもらう。
結果 継続しないでしょうが、取りあえずきっかけです。
ツアーは、参加したほうがいい、友人ができやすいので。
ホテルに帰ると、夜行列車で、早朝到着、その日一日ツアーで充実したが、疲れた。
其の日は、街の通りを歩いて、英国パブ風の店で、ヌードルとビールを飲み簡単に食事を済ませ、早く寝た。




dohongrose27 at 11:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0) | 

2005年10月18日

USJ

息子 と スタッフぬいぐるみと








10.14.2005 朝11時過ぎに入り、7時の最終までいました。
終了前の15分間のショータイム、水&花火&ダンスのショーは、流石にアメリカの良さがありました。 実際の体験を体感するアトラクションは価値あります。
ロスのと、殆ど同じで手抜きはありませんでした。



USJ 障害者とスタッフ仮のカップル

dohongrose27 at 16:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)イベント | イベント

2005年10月05日

3月17日( バンコク 2日目)

ファランポーン駅(central sta)
喧騒のバンコク







3月17日
 
翌日 朝7時にベッドから起き、屋上の5Fで、下着、ポロシャツと手洗いで洗濯。
その後すぐバス#46に乗って、中央駅まで行く。
早速 間違って反対方向のバスに乗ってしまった。
途中 近い所で降ろされたが、かえってわかりにくく、駅を訪ねても全く通じない。
ようやく駅に着くと、案内のコーナーで、英語が少し通じる、窓口で、チェンマイ行きの列車を頼むと、全て夕方6:00発の列車は、満席で、唯一2:30PMの列車、冷房なし、ファンのみ、寝台 B440 1席のみで、申し込む。
流石に翌日となると難しい。
駅の左手に、#53のバスが停車するところがあり、運転手がたむろしていて要注意で、すぐに来たバスに乗りカオサンに行く。
下車したところで、日本人の若い人を見つけ、日本人向けの宿を聞き、見に行くが
空きがない。
旅行者向けの安宿の多いところということで欧米人ばかりである。取り敢えず、朝食のサンドイッチを食べる。大味なサンドイッチで、取りあえずかさでお腹がふくれた。
宿をかえるべきか、2,3のホテルをあたり、部屋を見るが、意外に安くなく
部屋は個室で息苦しく、別に快適ではない。
友達ができそうでもなく、以前ほど欧米人にも興味が薄れた。結局 昼までに連泊するかどうかペンディングにしていたので、延泊にすることに決め、疲れたので急ぎまたバスで中央駅(B4)4バーツ払う。乗り継ぎのバスが分からず、最新の地下鉄に乗り、近くで降りたが、元々 宿の位置を勘違いしていて、タクシーでB50払い、なんとかたどり着く、大変暑いところである。1時半頃戻り、シャワーを浴びて、メールを打つと、出かける気がなくなり、近くのショッピングセンターを見学して、最上階の食堂、カード式で
気にいったスタンドの食事を選ぶ、鯖の煮たもの、ギョウザ、ライス、みそ汁の
定食のようなものにする。兎に角食べる、きれいに食べたが、味はかなり違う。
B65払い、カード売り場でB35返却して貰う。
部屋に戻り 居間にいてTVを見る、クーラーもきいて居て良い、日本のニュースが見れて、新聞も読める、若い日本人の男女が多く泊まっていて、長いのか話あっている、
1日経つと何となく慣れて、気楽で安全な宿である。
日本語で通じる、何故か長く滞在している中年が二人いて、1人は、50歳位だが
愛想が悪く、変なやつである。もう1人は、魚を焼き、ご飯を炊いて日本でのような生活をしている、名所を聞いたが、良く知らないとのことで、諦めた。
若い人が、タイ式マッサージを勉強している。
特に話すこともなく、盗難も気をつけないといけないので、また外出して、
ショッピングセンターで、ソーセージB20、紅茶B25で軽食をとる。

2日目の夜 10時に眠りについたが 睡眠剤飲まなくても朝の3時位まで眠れた。
その時間に誰かが戻ってきて ガタガタうるさいので、ベッドから起きて直接 その人間にむかい”静かにしろ”と言って近くまでいくと、不承不承返事をして、それ以降
気を使って整理をしていた、あとで トイレに行く連中がその都度こちらのベッドを
覗いてきた。珍しいのか。嘗められても困るし、盗難よけにもなると思い。
欧米のバックパッカー通り





dohongrose27 at 15:18|PermalinkComments(1)TrackBack(0) |