2005年09月

2005年09月27日

バンコク−チェンマイ 旅行記

バンコク、日の出旅館
shoppingmall











バンコク−チェンマイ 旅行記 (3.16~23, 2005)
 本日早朝出発、5:50起床し、暖房をつけ、いつもと同じ朝食
 根コンブ水を飲み、コンブを食べ、ヨーグルト、オートミル、しょうがを擦って
 紅茶に入れ飲む。

 その週からリュックを用意し、その都度気のついた小さなものを追加。
 下着(tシャツ)2組、半パン(テニス用)、半袖シャツ(ネック付き)2枚、
 小物入れ(ビニールシース、チャック付き)3種用意し、洗面用具を一つに、
 もう一つに小物をいれる。A4サイズのシースに、通関、登場、入国に必要な、
 パスポート、Air chicket, ドル紙幣($100程度、前回の残)円紙幣(7,8千円)
 を封筒に入れたもの、到着後の宿の案内(確認メール)、その日の活動予定(文書)を入
 れる。これが最も役立つ。このA4シースを片バンドのサックに、書物と入れ
 前に掛け、後ろに衣類等を入れ、長ズボンにいつもの家で着用の長袖とウィンドーブレ
 ーカーのみをつけて(気温7度)、桃山台まで、車で7時に送ってもらう。

 7:15桃山台、7:50ラピートに乗車\1390と\500余分かかるが最も快適で
 唯一贅沢である。
 ラピートに乗ったとこから海外である。
 中国の古典の文庫本を読み、自己を戒める。
 早速定期券をしまい、小銭をフィルムケースに入れ、日本の通貨に封印。
 財布は、両替用の1万円札と今回作ったcity bankのcash card,いつものcredit card.

 空港に着きチェックインカウンターは、大勢の人であった。
 10時離陸の、8:48着で、少し遅い。
 チケットでトラブル発生、降機地がコンピューター上Manilaになっているというのだ。
 代理店のせいだというが、即 友人がこのflightで待っていて、sucheduleどおりでな
 いと困るとshout。かなり満席の様子、結果空きがあり取れる。
 次に再度トラブル発生、通関で友人にもらった欧州製ナイフがひっかかる、結果
 タイ航空に預ける事で手間取り、先程のchicket counter の女性が、フィリピン女性を
 同行して、検査後、小生に急いで下さいと走らせる、1人はマニラで、小生はバンコクで違うというと、マニラ経由だそうで、それがわからなかった、確認しておくべきだった、2週間前に安いフライトをメールで知り、急遽変更したからである。時差程度に考えていた。出発のところに行くと、もう搭乗が始まっていて、10分早い離陸に変更され、
9時30分に着いたので、時間がなく驚いた。
出発の2時間前が鉄則であることを再認識。乗客はフィリピン人が多く、水商売系の女性達と普通の人でない日本の男との組み合わせが多くいた。
9時50分フライトの12時50分マニラ着の、30分後お戻り下さいとのアナウンス。
殆どがフィリピン人で、マニラで降車した。
1時間の時差で、結局14時20分発に表示が変更。
transitは、決まったところで囲われていた、フィリピンは既に暑い、中東のairが
窓越しに見え、いかにも東南アジアに来て、西アジアが近い事を感じさせた。
マニラ−バンコクでは、ラムコークの酒を頼んだ、2杯も飲み、ワインも飲んでしまった。
バカーディコークを飲むと、何故かリラックスできる。
食事の時、前の席のインド人が座席を起こさないので、ドンとたたくと、慌てて前にして、
以降後ろに気をつけていた、その後 隣のマニラ在住の白人の中年ビジネスマンが、
気を使い出した。彼らはそんな人種なのを改めて知る。
妻に言わせると、外国人に物怖じしない人とのことでした。

ビジネスと個人旅行は、感覚が違う。
次 やることが待っていないから、
空港に着くと、どんな国、空気、人々を期待する。
写真や映像をみていても、実際その地に立つと、全く違ったものを感じる。
just see it, experienceに勝るものはない。

ホーチミンに昨年9月訪問してから、東南アジアに興味が引かれた。
これからはアジアだ、東南アジアが深いと思う。

初めて未知の空港に降り立つと 独特の空気が支配する、
これからの人生、決めたら即実行する生き方をしたい。
アジアは、皆あまり英語ができないので楽である、教えるように話せる。
米国だけが唯一気を使う、言葉が早く乱雑である。英国系は丁寧に話し、分かりやすい。

バンコクの空港は緑が多く最も美しく見える、ゴルフをしている人もあり、
簡単なゴルフコースがある。

baggage claimに行くまでに、銀行を見つけ、即両替を1万円する、500Bを
何枚、100を、50をと予定した内容で依頼すると、細かく揃えられないとにべもなかったが、結果こちらの希望に近く紙幣をくだいてくれていた、念のため金額を
しっかり数えた。

バンコク在住のI氏に教えて貰ったように、空港をでて市内行きの道路を聞くが、殆ど知らない。列車の駅の方への通路を2Fに上がり、最初の階段を下りると そこに バス停があり、タクシーが2台止まっていたので、一台に乗り、インターネットで印刷した滞在予定のguest houseの図を見せた、スクンビット通りと言うことで、近くの写真入りの建物も表示されているので、
分かっているようであった。メーターを倒させ、highwayと言うと通じて、日本人かと
聞かれる。ここは大都市の話をする、事実かなり高層のビルを見て驚く。
最初高速料金B20(バーツ)出し、かなりのスピードで走り、一般道に
一時出て、次にB40出し、スクンビットの近くで降りる、道路は渋滞している、200バーツ以下で交渉したが、結局メーターより安く B150支払ったが、メータ通りでチップくらい払わないととI氏に叱られた。

メールで予約した guest house 日の出 は確かにあったが、預けたナイフの確認を
出てくる荷物のところで待ったせいで、6時半位についてしまった。
少し暗くなりかけていた。外国独特の菱形編み目の鉄の門が閉められていて中は暗く
どうなっているのか心配したが、隣の店の人に聞く。オーナーが降りてきて貰いあけてもらい中に入る、2Fにあがる、内部は暗く、今まで経験したことのないシステムで、病院のベッドのような、カーテンしきりの部屋と個室を見せて貰ったが、個室は牢獄のようで、息が詰まるので、大部屋を選んだが、これはこれで盗難の心配がある、カーテンを開ければ中にはいれるので。取り敢えず 日本語のできる、父親が日本人のチャーさんという男性に説明を受ける、優しい若者でこの宿の話をしてもらう。ボンドで100B、1日分B150支払った。ベッドの上で荷物の整理をし、出る前に 前の扉の鍵の操作の仕方を聞き(夜間は、自分でロックされた南京錠を外してはいるシステム)メールでやり取りした在住のI氏に会いに、バイクタクシーB20払い、バイクの後ろにまたがる。
大丈夫かなと心配しつつ運転手の体を掴む。
10分くらいかかり、待ち合わせの エンポリアムというところに行く。
賑やかなところで且つ日本的なところである。
暫しそのあたりのBTSの駅の改札、売店等を見て歩き、2Fの紀伊国屋の前で待つ事暫し、8時に、少しスリムになって、神経質そうなI氏(3年以上ぶり)と面談。
少し髪が薄くなっているようだ、気苦労しているのでしょう。
食事するところと言うことで、歩き回ること30分以上で、鍋料理の店に入る。
彼は、あしらいは慣れていてタイ語である。ガイドブックにもでている日本人好みの店のようである。色んな話をした、仕事の大切さ、3年生活していること、給与が現地ではかなり良く、三井化学の現地法人のマネージャである。久しぶりにアルコールを飲みながら話した。彼はカードで支払い、小生はB300渡した。
このあたりは日本人の駐在が多く住んでいて、特別きれいな所で例外とのことでした。
日本食も多く、日本人好みにしてある。日本の小さいパンやもあった。

ゲストハウスまで送ってもらい別れる。
最初の夜でもあり緊張し、貴重品を枕の下にして眠ることにした。


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2005年09月23日

last day in Saigon

9月29日
  今日は午後のフライトなので、またゆったりである。
  この日は どんなことをしたか 何故かわすれてしまった。

  ゆっくり sin cafeに行き、そこで バスを待つことしばし、
  オランダの中年の叔父さんと3人が、乗り込んだ。
  一ヶ月 リゾートにいたようだが、唯ボーとすごしていたのであろう。
  欧州は寒いので、最高の贅沢であったことだろう、しかも安い。
  次回は、65歳でこの経験をするつもりである。
  ホテルの支払いも、カードですませ、全て明細をチェックし、完璧で
  スタッフに挨拶して別れた、帰りに次回は、$15で交渉しておいた。

  台北着は、ことの他遅く、ホテルに夜10時位に入り、来しなと同じホテルなので慣れたもんである、レストランも閉まり、即席ラーメンをコンビニで買い食べた。
  ホテルでは、柄の悪い大阪弁が聞こえ、そこは もう難波であった。
  朝 猛烈に早いバスで、中正空港に着いたが、降りるのは2つ目で、間違わないことである。
  一つ目は domesticであろう。 バスの中で台北の女性と知り合いになった。
  朝飲んだ 牛乳が 悪く、翌日大阪に着いてまで、下痢であった。
  お陰で 体重が減った。奇しくも台風来襲とかで、よく着いたねと妻に言われた。
  8日の旅は、8日経つと もとのノーマルな日常に変わります。
  初めて知った 東南アジアは、印象深いものになった。
  次回は、早い時点でバンコックに行くことにします。
  記   
miss hong in a hotelmiss hong

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2005年09月21日

6th day in Saigon3

9月28日 
 戦争博物館に行き、写真集をかなり見たが、歴史が興味ぶかかった。
 Vuong Hong Sen 1902-1996
文化研究家、南ベトナムのアンティークを収集。
 18−19C blue & white ceramics
10〜19Cの ベトナム、china,Cambodia,japan,thailand の陶器の紹介。
  54部族からなり、そのうち殆どが ベト族。 刃、漁具を展示
象の皮の、太鼓  直径 1m、長さ 1.3m
Hu chi minh 1890-1969
Le dai hanh (941-1005) 王
 歴史的英雄 : 1288 元軍を破った チャン フン グオ
         1427 明軍に勝った レロイ

 general Vo Nugnyea Giap 1973 ディエンビエンフーのインドシナ戦争で勝利
 戦死者 110万人
 1995 アメリカと国交正常化 

 レロイ通りが、メインストリートである、ドンコイ通りと交差
 初めて 間違って持ってきた アイスのベトナムコーヒーを飲む、甘い。

 動物園、植物園に入る、入場料 8000ドン
 静かであり、象のところで、餌をやったが、案の定高く、請求された、入場料より、餌の方が高い。
 一通りの動物がいて静かであった。
 夜、ホンさんから連絡ないので、最初に行った南国風の一流料理店に行ったが、
 2度目のせいか、マネージャーが挨拶に来て、フルーツの差し入れがあった。
 唯 頼んだ 魚は、片面だけ料理して、高かった。

 何度か受付で、ホンさんの来訪を依頼していたが、来なかったので、ホテルに
 初めてタクシーに乗り戻ると(安全のため)ホテルの受付で、彼女が来て、
 レストランからtelがあり、こちらに向かっているとのことで、部屋に戻り
 待つことしばし、階下に、普段着で待っていた。
 公園の近くのトップクラスのホテルに行き、そこでお茶を飲みながらしばし
 談笑した、もう少し英語ができれば、将来の事とか話ができるのですが、それもまた良し。
 おみやげを持参してくれていて、カレンダーと小物を頂いた。
 薄給の中で、購入してくれたプレゼントに、深く心を打たれた。
 帰りは、ホテルの前に置いたバイクに、颯爽と乗って帰っていった。
 adieu miss saigon.
 戻ると 相棒は ぐっすり眠っていた。
fm top of hotelbentan market

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2005年09月20日

岡山 海岸

岡山、牛窓 with sons岡山、出崎







8月6日〜11日 まで 息子の倉敷のアパートで前半妻と次男、8日から次男と
滞在して、毎日海岸に数時間通いつめました。
倉敷から海岸まで40kmくらいの位置です。

1日目 瀬戸内海、西脇海岸 人が少なく快適 駐車700円、畳一畳 700円 2日目 牛窓海岸、200名位の人出、パラソル利用 2000円、シャワー利用できる、車駐車700円 海水場らしい、日曜の為多し 3日目 出崎 人少なし、駐車 500円、利用2名だった為 500円追加、畳一畳(休憩)700円 4日目 又 出崎 5日目 笠岡(福山市の隣、広島との県境)からフェリーで、2つ目の島 北木島、フェリー 快速1050円/1人、帰り 鈍行(設備 ドアがあり、冷房)半額位、車 笠岡(1時間強)のスーパーに駐車してフェリーに乗る 快適40分程度、船着場から15分程度村を通り海岸に。海は頗る透明、プーケットより良い、偶々若者の団体が来ていて多かったが、彼等を除けば 殆ど人がいない。飛び込み台あり(今時珍しい)その下に 小魚が群れていて見えます。休憩料払わず、弁当持込、安くて静かで最高でした。水がクールで気持ちよし、6日目【最後】また 出崎 1人 駐車500円、畳使わず無料、この海岸は、個人の所有で、岡山では有名な人、カバや(キャラメル)の社長所有、ドッグの海水場として知られていて、TVで紹介されていました、関西、それより以東からもペットとくるとか。 今回の目的は、海水に浸し、体質改善の為で、10数年振りに 海水浴しました、効果は、乾燥肌がしっとりして、先日まで額が 脂ぎってました。岩木島は 穴場です、テントを張って滞在できるようです。昨年の台風で被害を受け、水の設備が、海水に洗い流されたようです。売店1件、そこでシャワー100円で利用。次男が付き合ってくれたのが幸いでした。


>okayama, 牛窓okayama 西脇 with son




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2005年09月19日

5th day in Saigon

9月27日
 昼間に、1人で、最初のホテルのドンコイ通りまで歩く、途中 時計を$5で買う、
 フィルムも$10程度で買い、その足で市内を歩き 撮りまくる。
 バカちょんカメラを持っていくのも手です。とられないので。
 米国の旅行者の陽気なグループから写真を頼まれ撮ったが、どこいっても中年の旅行者は
 楽しむ。船で立ち寄ったそうである。
 百貨店に立ち寄ったが、なかなかいい感じでした。
 途中 子供の切手帳売りに寄ってこられたが、必要ないので断り、千ドンやろうとすると
 嫌がられ、英語が通じるのに意外だった。
 買わないで居ると最後 罵られた、憐憫の情は持たないこと。
 買い物の交渉は、楽しいようである。大体1/3まで値切れるんじゃないでしょうか。
 色々買うと 安くなる。
 おさらいの意味で、2時間近く回ったが、狭い街であった。
 銀行が閉まる前に、両替をしたが、非常に丁寧に応対してくれ、時間もかかった、
 今回 カードで、現金の引き出しで、$50と $10分 ドンで。
 銀行は小さく、市内なのに、10人程度というこじんまりしたものだった。
 前日 自動現金引き出し機を使ったが、ドンのみだったが、確認するとやはりそのようである。
 米ドルだと余っても別にいいが、現地通貨は、流通性が無く、紙切れの感がある。
 おまけに 紙幣は汚く、それようの財布をこれまた$3程度で買ったが、ポケットに
 そのまま入れて使うのが便利で、安全。

 朝から ヤシン市場に行く、かなり汚い市場だが、工具関係、衣類、食料品と売っていて
 多彩である。ここで仕入れて、天秤で担いで あるいて市内にフルーツ、麺類と売りに
 いくのだから、ここの女性は、よく働く。
 というより男性に向いた仕事があまりないのであろう。
 N氏は、銃の弾をいれる金属の汚れた箱を見つけて、$3くらいで購入した、
 最初のところは、$15というから あきれる。 $10は、かなり大きな金額である。
 ライスペーパーを買う あまりきれいでない、醤油を4000ドンで買う

  昼は、焼きめしが美味いと言う店で食べたが、結構きれいにしていたが、いい値段で
 アルコール付きで1人300円くらいだった。

central station (saigon)

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2005年09月18日

4th day in Saigon

9月26日 (2004)

朝 早めに7時前に水 2瓶を用意して出る。
Sinn Cafeに着き、軽食の店でリプトンを頼み、しばし バスの発車時間まで待つ、欧米人のカップルがパンを持って入ってくる、何事か話して、水持参で、パンをかじっているので、何も注文しないか見ているとコーヒーが運ばれる、一杯30円で程度である。彼等は 兎に角無駄な金を使わない。
カフェの前のSOUTHERN HOTELは、安そうである、10ドル程度であろう。待つ場所を変えて、チケット売場で待っていると、日本人の若い人に出会った。
彼は、一生懸命日記らしきものを書いていた。英語ができないそうだが、できなくてもちゃんと旅ができている。何かアナウンスをしているが、聞き取れないので、言ってあげると慌てて一泊2日のバスに乗っていった。

予定のバスが来て、乗り込む、酔うと困るので、一番前に座る、隣に米国人の女性が座ったが、(ナイキのサイゴン勤務)バスを間違えていて、名前を呼ばれて降りて行った。

バスのガイドは、50代の髭の叔父さんで、日焼けして 粗末な服で、発音の悪い英語で、慣れた台詞を繰り返す。ガイドは、安い仕事だなと感じた。
欧米人には、通じている。
ベトナムの話をしているのだから、喋れるでしょう。
その話を聞いていると、中国人の男性が前に来て、友達が酔っていると言う事で
前に座っていいかと聞くので、座ってもらった。
若い女性で、気分悪そうで、ビニール袋を持って、時折あげている。
こちらも酔いそうで、えらい席にすわったな、と後悔した。
そのうち 気持ちがましになり、台北の話をするが通じない、また英語の
出来ない人かと思っていると、カオダイ寺院に着く、なんだか大きな寺院で、
白衣を着た年寄りのお爺さん、婆さんばかりで、あまり興味がなかったが、
その中国人の男女と隣の女性の仲間に入り、中に入ったが、特に興味がないので、すぐに出た。
それより脱いだ靴がとられないか心配でした。
中国人の男性、曽さんは、( 曽志育Tsengjuhyuh@pchoem.com.tw)
中国語の教師で、インテリでやさしく、英語も
そこそこできて、話しやすかった。彼が持参の洗練されていない食パンを、お腹がすかないかと
言うことで、4人で、ちぎって食べていた。

トイレは、となりのドアから出た男が、いきなり バシャ と音がするので、
なんや!とのぞくと、桶に水をくんで便器にかけて流していた。
こういうやり方も水洗なんでしょうな。
石鹸もみあたらなかった、不衛生であり、昨日買った 石鹸入れの木製の入れ物はなんだったん
だろう。

カオダイテンプルは、1926年の設立で、右肩にベルトをかけているのが、上位の僧とかで、
何か英語を喋るようである。
荘厳のイメージを出していたが、日本の鄙びた感じでなくて、原色の建物は、イメージが合わず、
格段 尊重する気もおこらなかった。
昼食を途中のレストランで取ることになり、麺類(野菜入り、チキン)を頼む、隣の女性が
支払ってくれたので、慌てて2万ドン支払う、安くて楽しい。
曽さんが、隣の女性と英語で喋っているので、”何故 中国人同士 英語で喋るのか”と聞いてみると
何と ベトナムの人だった。 どおりで台北の話題が通じなかったはずであった。
その一件で、シンガポールの夫婦や曽さん、シェリー(曽さんの友人の女性)から笑いが起こった。

隣の彼女は、ホンさんで27歳と言うことだが、21,2歳にしか見えない。ベトナム人は、若く見える。
カオダイテンプルの後、クチトンネルと言うことで、ベトナム戦争の時のトンネルの見学を
別途$5支払い見ることになる。
取り立てて関心もしなかったが、こんなネズミのような人達と戦い、仕掛けにはまり、鉄の針が突き刺さり死んでいく若い米兵は、情けなかったと思う。インテリは、米国国会議事堂に反対のデモを
若い男女が10万人以上もしている時に、泥のようなところで死んでいくのだから。
ベトナムの人は、死んでも、焦土とかしても、地下のトンネルで生活して戦うわけだから。
生半可な欧米人では、精神力と生命力、地の利、風土とかてはしない。
フランスは、ディエンビエンフーの戦いで、完全に戦闘でうち負かされた、撤退。

トンネルの中に、入ったり、アメリカ軍の戦車に乗ったりと、くったく無く米国人の
女性二人、豪州の若者二人と写真を撮ってもらっている。
トンネルも少しくぐったが、すぐに上がった、腰が痛く、長く低いかがんだ姿勢で
歩けない。その後、忍者の仕掛けのようなものを見たが、別段関心もしなかった。
写真も撮ってもらう気持ちも、とりたくも思わなかった。 
よくこんなつまらない戦いをしていたんだと思う。
そのあと、人気があるそうで、米国の兵隊の持っていた類似のライター、兵隊の備品を
販売、(N氏によると、戦争の後、血の付いたライター、玉入れ、軍服と 大量に買い、
日本で高く売っていたようで、それらしく今は作って売っているようです)
小生 興味なく、何も買うものはなく、仕方なしに ホーチミンの写真入りの軟膏のようなものを
買ったのみ。
銃の試射もやっていて、一発$1とかで、高い (ロスの方が、初めて銃を撃ったが 安い)
韓国人の女性、米国人の若い女性、豪州人と 曽さんが 撃っていた。
女性も強いもので、驚きました。
帰る途中 また土砂降りで、sinn cafeの店に、バスから飛び移り、ホンさんと
途中まで一緒に帰った。 今考えると、hongさんは、口では、最初の紹介の映像も見ず
中も入らなかったが、入る分けないだろうと思った。
それより、ホンさんは、日本に興味あるようだった。メールアドレスを聞いて、
別れたが、バスの中で いつ帰るか聞かれ、サイゴン出る日の前日の夜、お別れに来てくれるとの
話だったが、あてにしないで待つことにする。
食事を誘ったが、叔母さんが心配するのでというので、あっさりわかれた。
抱き寄せると、嬉しそうだった。 もともと気さくで、親切、素直なので、気にはいってくれたのでしょう。外国では、年輩でも相手にしてくれます。

ホテルに戻ると、相棒は、かなりTV番組を見ていて、解説をしてくれた。
聞いていると、アジア、台北、ソウル、インドと似ている。
何と 田舎からサイゴンに、出てきて 生活し、男性とつきあって、色々と感じる話で、
殆ど 制作費かからない類のもので、それだから余計、内面が出て、面白い。

今日は、しゃれたフランス風一流レストランに食事に行く。所謂 梅田のヒルトンにでも
食べに行った感覚である。
ビールは、ハイネケン、春巻きと そこそこ食べたが$30以内で、N氏が支払う。


ventan market(saigon)central station (saigon)

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2005年09月16日

3rd day in Saigon

9月25日

朝6時起床で、トップフロアで夜明けを見る。
朝暑くない、早速準備をし、12000ドンのミネラルウォーター2本を持参。
早めに行き朝食をとりながら、バスが来るまで待機、次々とバスは来て、
日本人の女性ガイドのバスに乗ることになる、いきなり 日本語で機関銃のように
解説していく、かなり事情が飲み込めて行くが、かなりベトナム寄り、日本に批判的な
偏ったコメントである事を後ほどわかる。

ミトという、メコンデルタ地帯に、2時間近くバスに乗り、船着き場に到着する、
その間、道路は、舗装されていたが、車線は、右側通行だが、左が空いていて、追い越す時は、
どんどん左側を走る、結構スピードを出し、警笛も鳴らし続ける。

バスの乗車中の説明によると、
ハノイ、ホイアン、フエ という都市は、欧米人が好き、一千年の歴史があり、古い街が魅力的。
日本人は、サイゴンが多い。ホーチミンは、300年の歴史があるが、見るところは、あまりない。

ハノイは、ベトナムの風情が色濃く残り、geen cityと呼ばれている。
日本からだと直行で4,5時間かかる。
ホイアン、フエと行くと、2つのベトナムを感じる。知的好奇心も満たします。
チョロンというチャイナタウンがあり、ホーチミンは、ベトナムNO.1の経済都市、
人口もNo.1、モーターバイクシチィーとも言われている。
一区、三区が、上流階級の居住地域で、かつてのフランス人居留地。
農村部に行くと、ベトナムを感じる。80%が農村、人口の19%は都市部で、農村部も貧富の差。。
世界No.2の米輸出国、工業化を目指しているが、工業団地は、うまっていない。
メコンデルタは、平坦で、毛細血管のように張り巡らされている。
一部の富裕農家が土地を所有、全て 人手で生産。
地域は、暑く 熱中症にならないように、のんびり過ごす。

バイクは、honda が No.1、殆どの人が無免許。
中央分離帯は、数ヶ月前にできた、ヘルメットは、かぶらなくてもよい(唯 市内を出ると
必要)1年以上前はミラーがなし。大気汚染がひどくマスクをつけている。
色白は、ホワイトカラーのステータス。ふっくらとしているのが良く、痩せているのは貧しい。
ベトナム人は、東洋のイタリア人と呼ばれ、口がうまい。
中国人的で、こすがらく、お金に厳しい。
親の世代は、こつこつ型で、貧しい。
売春婦も数万人いて、ホテルのバーにたむろ。外国人の行くカラオケ、ディスコにいて、
肌の露出度が大きい。普通の女性は、化粧品を買うお金もない。
フィアンセ以外一緒に外出不可。
宗教 ー 日本、ベトナム、韓国 :大乗仏教
韓国、ベトナム − 老人に席を譲る、先生は尊敬する。
韓国のテレビドラマは、人気がある。 餅米の副産物の泡盛を飲む、ビールは贅沢品。
トイレの表示:Num 男、容器が小さい。
オフィスワーカー:$40〜$200/月
カトリック教、カオダイ教(新興宗教) 1000年 中国が支配。
ベトナム料理食べやすい、中華料理のコピー、中国の南方民族:ベト族、元々漢字
フランスの統治時代−漢字読めない為、アルファベット表記をさせる、6声、広東語に近い

日本語を話す人は注意、帰りの空港までのタクシーで被害をうけた話もあり。
 ベトナム戦争:足を踏んだ人間は、踏まれた人間の事を忘れる。
 インドシナ戦争 、ディエンビエンフーの戦い − フランスに勝つ
 北ベトナムのみ独立、
 米国 国家予算の1年分投入、日本が戦時物資供給、ベトナム特需
1975年 3月 サイゴン陥落、米国に勝つ。
1986年 ドイモイ政策、政治−社会主義、経済−自由主義

 離島(メコンデルタ)学校、病院なし、TVはあり、大事。1km位の川幅。
 乾期は、川の水を、土をこして飲料に変える。
 ジャンクが多くあり、大きな船に4,5人、小さなタイプは、二人乗っている。
 稚魚を育てる、水上養殖場。 南シナ海に出漁
 川魚を食べる、食べる直前まで活かしておける。

 観光の船は、木製で、救命浮き輪 二個、木のベンチに座る。
 離島に上陸し、魚料理を食べる 九万ドン
 昼食は、四人で、飲み物を飲み 13万ドン(=1000円)
 生春巻きを、自分で作り食べる。木製の土産の販売、シーツ、蜂蜜。
 女性が歌い、男性が二弧を弾く。子供達は裸足。悲しげな歌。
蜂蜜 $3.(瓶)刺繍のテーブルクロス $17。
水上生活とは、メコンに来てみるとこんなものかとわかる。メコンの恵み:魚

大河を走らせ、支流を行く時は、モーターの船から手漕ぎの小舟に乗り換える。
その川の水に、手をつけながら 進むと 心地よい。
水上の草の間から 動物が顔を出しそうなところです。

夕方になるとスコールが来る。船の帰りは慣れてしまってあまりフレッシュさを
感じなくなる。乗り換え時に、粘土質の地面でつるりと滑ってしまった。
屋根のある船にのり、バスの乗り換えもタイミングよく、ノンストップで2時間
バスで一路帰路に、案の定 途中 スコールとなり、どしゃぶり、道路が川になり、
バイクのネズミ男が出現した。
こんなところでよく生きているものだと思うが、自然には逆らわない、ものに
執着しなくなる生き方と思う。

明日のツアー $7で、カオダイ寺院 & クチ トンネル ツアーを 一人で申し込む。
日本語のガイドより、英語のガイドの方が、色んな人と知り合えていい。
そのあたりの事を確認するが、通じないのであきらめる。
相棒の待つ 隣のCAFEでに戻り軽夕食で、パンを帰りに買って帰った。
一旦 ホテルに戻ったが、明日 一人の為、SIN CAFEに、再度 夜
一人で道の確認の為 歩いて行く。夜は、雰囲気が変わり 欧米人の溜まり場で
雰囲気が怪しい。
2fのネットCAFÉに上がり、ネットの確認をすると日本語入力のソフトが入っており、
40分しても 4000ドンという安さで、アメリカ人はメール好きでよく来る。
唯 マシンの反応は遅く、快適でない。

saigonarrival in vietnam

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2005年09月15日

霧の東京

3日(金)前泊を節約して、伊丹からAirで、2月以来の浜松町 竹芝へ研修に行きました。8時のフライトでしたが、車で、モノレール山田へ、7:10過ぎに空港到着、 やはり伊丹が便利です。ネットの早割りで、11850、朝起きてスグeースマートで発券手続きしておくと、Anaカードで、自動機で、搭乗券が手にでき、早い、便利ですよ。

独立行政法人の機構【ニューピア竹芝】で、全国雇用開発協会のコンサルタントが一同に介して本部の司会進行で、1日セミナーをしました。
今回は、事例の発表という事で参加意義のあるものでした。
広島の元行政のOBの女性の話しは、非常に整然として、朗朗と且つメリハリのある、コンサルタントの活動指針になるものでした。セミナー終了後、前回小生話しをしたのか、急ぎこちらにこられてお声掛け頂き、嬉しく思いました。是非広島へ来てくださいと、妙齢の60過ぎの叔母様でした。
資質的に素晴らしく、mixiに入会して頂きたい方でした。それはできますでしょうか。

勤務終了後、幹部の一人の方と暫し 歓談の時を過ごし、彼等の業務に役立つ資料、参考の話しと、ついつい熱心に語ってしまいました。

行政に広島の様な人がいる事で、仕事の励みになりました。
話すと その人の仕事のやり方、資質が見えてきますね。

居酒屋(久々の飲酒)で、ミヤンマーのススラッと言う方(ウエイトレス)
と知り合いました、ヤンゴン、バガンの話しになりましたが、
兄弟が先の神戸の震災でなくなられたようでした。

仕事は幹部の方のご苦労も聞き、親しくなりました。
行政の廣道さんのような方でした。

帰り 貿易センタービルから出ている、阪急高速バス、3人がけで帰りました。
10:40pm発、6:00am 桃山台着でした、睡眠剤も服用するも寝れず、
疲れましたが、利用はできます。チェンマイ〜バンコクの高速バスは、後半3,4時間眠れたのに何故でしょう。
帰宅後、結局 昼まで寝なおしました。
また 頑張るぞー 
東京竹芝桟橋の風景添付です。


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dohongrose27 at 09:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)コンサルティング | コンサルティング

2005年09月14日

2nd days in Saigon

9月24日 ≪金≫  
朝 早く起きて、6時前に 一人 散歩に出た。
メインストリート ドンコイとレロイの道を通り、市場に行く事にする。
街の公園では、皆 バドミントンに興じていたというより、真剣にプレーしていた。
暑いので、早朝にスポーツしているのでしょう。

市場まで 歩いて 散策する事にした。
散歩していると 40歳くらいの男が近づいてきて、家に戻り、バイクで、chinese marketを案内してくれるという、親切からだろうか迷っていると、いくら払えばいいか訪ねるときっちり 額を言ってきた、やはりそうか。
店を経営していて、今日と、明日は休みのように言っていたが。
とにかく 小銭稼ぎという事でしょうか。ただは怖いので気をつけたが良い。

市場は、まだ始まっていなくて、中に入ると 特有の臭いがする。

川のところに歩いていくと、シクロがしつこくついてくる、道路を渡らせ、気をつかうので、仕方なく乗ってやった、かなり気持ちよい、気をつけて渡っていた道が 王道に変わる、ホテルまでの途中、一部参考に安いホテルを見せてもらう $20、$15の類である、かなり 汚い所も走り、警戒もする。10時に迎えにくると言い残され、要らないと言ったが、1万ドン渡した。

ホテルに戻り、朝食を頂き、割安なホテルに変わる事にして、ホテルのチェックアウトをいい、
safety boxから出してもらい、冷蔵庫の支払い 123,000don 支払う。

もっと中心街で、少し雑然とした地域で、市場のすぐ近くの ホテル saigon pinkに変える、$20 から $18 に 下がり決定。
最上階の、市内中心部が全て見える見晴らしの良い、明るい最高の部屋に変れた。
暫く 荷物整理、シャワーと快適になり、Sin Café という欧米人がたむろする streetに行きメコンデルタツアー $7−を 二人申し込む。
Agent の女性が英語が上手く、愉しく話せた、小生の事 英語が上手なのは 何故か聞かれた。
4日間のツアーもあり、一週間いて、あちこち行かないと ベトナムを旅行した事にはならない、
欧米人は、殆どこの バスツアーで、全国廻るようで、ホーチミンだけの滞在は、日本人だけのようである。やはり、休暇がとれないからでしょうか。
バックパッカーの花盛りである。アメリカ人がこのsin caféを経営しているようである。
兎に角 安さが 売り物のようである。 唯、市内バスは、\14なので、タクシーも安くもない。

一旦 ホテルに戻り、ゆっくりして、部屋からサイゴン独特の景色を眺める、眼下のすぐホテルの前の道には、屋台のようなものが並び、人が行き交い生活がある。

ガイドブックで探した高級レストランに行くことにする。
ホテルから方向を定めて近いので歩いていく、南洋樹の高く生い茂る道路を歩き、何度か
思考錯誤しながら、目指す南洋風レストランに到着した。

ゴックスーン Ngoc Surong 19 Le Quy Dion 10:00 ~22:00  南洋風レストラン
tel 8232209
創業50年、ホーチミンに4店
 蟹の丸揚げ 13万ドン、エビ6万ドン、300席 火木土 ミュウジックライブ

生演奏で、ベトナムの男女が英語の歌を歌い、正にアジアを感じさせるエキサイティングな夜でした。
屋外で少し暑いが風通しがよいテーブルで食事を始める。
生牡蠣から始める、かなり美味しく、シドニーの牡蠣を思い出させる、次に 海老の炒め、
少し多い、それに蟹を食べる、甘いソースをかけてまずまずだが、指がどろどろになる。
こういう時中華料理の店だと、手拭だとか、水をいれた器を持ってきて手を洗わせてくれ、
日本人の気質を知悉しているが、とりあえず 同じような物を要望して、手を拭う。

地元の野菜(屋台でもよく見る)の炒め物、春巻き(ベトナム風)の焼いたの、
甘酸っぱい、キノコと野菜、春雨(お米)を入れて、タイ風の鍋を食べる。
辛くなかった、ビールを数杯のみ、南国の夜を楽しんだ。
何故だか 生演奏の歌は、‘happy birthday”が好きで、その曲ばかり歌っていて、
頭に残っている、雨が降り出すと、テントが張り出して雨を防いでくれる便利な仕組みである。

丁度窓ガラスを隔てて、室内で、子供の誕生祝を10人位で祝っている メンバーがあり、ここではかなり裕福に思えた。誕生日にこういう店に来て歌ってもらうのを見ると、米国の
ショウ付の食事会を思い出す、アメリカの影響を色濃くしているサイゴンの楽しみ方が
そこにはあった。 料金は、45万ドン(=3000円)位だが、一ヶ月の収入に匹敵するようである。
外国人が一部来ている。日本のスタイルで考えるとかなり安い事になる。一万は、越す内容だろう。

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in a city

dohongrose27 at 10:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) | 

2005年09月13日

伊吹山 ハイキング

44d4a05d.jpg久しぶりにハイキング





昔の会社仲間としました。
ストレス発散、脚力強化と最高。
高山植物がきれいで、頂上で食べた 冷やしたトマトが美味であった。
日差しが暑い登りでしたが、頂上での眼下の空気が冷たく、長袖必要です、
何故か いつも霧がかかっています。


dohongrose27 at 10:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ハイキング | ハイキング

2005年09月12日

鴻池新田会所跡3

f9036790.jpg家族で、5月の連休の週に、上記タイトルの記事が掲載されていて、早速訪問しました、年2回特別に14日が、財閥鴻池の先祖が元々の神社に合祀されていて、公開されるという事でした。
鴻池新田の歴史ー大和川の氾濫による河川の流れを現在の大和川に変えて、
元の河川のところを埋め立て再利用してできた新田との事で、その仕事を幕府から
引き受けて鴻池が豪商の基を作ったようです。

銀行には手を出さなかったので、住友、三井、三菱の様な規模にはならなかったようである。
その歴史もさる事ながら、日本の昔の会所の建物、造り、広さ、近年の日本文化と相俟って、しっとりと落ち着いた時間を体感できました。
まだ私の知らない大阪がそこにはありました。
研修の集まりでも其の広間を使えるようです。午前中時間2千円程度で、大変値打ちで、昔の空間に自分を置けます。是非 訪問されん事を。

dohongrose27 at 13:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)名所旧跡 | 名所旧跡

2005年09月09日

サイゴンに着く 1st night4

558a9bdc.jpg9月23日(木)
サイゴンの空港を出ると、N氏(同行の人)の解説によると、どっと人がたかってくるという事でしたが、拍子抜けするほどのレベルで、1983年の西アフリカの空港を思い出させるフラットな空港、待合であった。

空港の前の 駐車場あたりに、バスが来る事を informationに確認しておいた、
タクシーに乗っても$8程度との事だが、道端に座りバスを待つ事しばし、がま口を前にさげた女性車掌付きのバスが目の前に来た、バスのナンバーは、#152、市内までは、2000ドン(=14円)である、45年前の大阪のバス、料金の再現である。昔の貨幣価値を知っているので、全く違和感がない。

市内までの道路は、広く感じ 8km程度の距離だが、車は少なく、殆どバイクである、ソウルの郊外の小さな町を彷彿とさせる、最近では1999、2001とソウルに立ち寄ったが。

皆 マスクをつけて乗っている、バイク公害であろう。一方通行の道である。
街の雰囲気がのんびりしていて、暑さ30度くらいで、皆一様に いい顔をしていた、
一度に好きになった。

バスターミナルのある、市内中央で降りたところで、地図を見て、場所を聞いていると、歩き出してから、相棒が デジカメをバックの後ろのネットにいれてあったのを、やられた事に気づき、1200枚取れるというカメラで、バカバカとっていた写真がなくなったのが悔しい。
Damn it!! アジアは油断がならない。

この事のお蔭で、人ごみに出ると、片バンドの小リュックを前に、財布を2つのチャックの中の奥のポケットに入れ、必要分をズボンの前ポケットに入れ、
支払いは、そこから出し、小銭しか見せない。
チャックは、日本製は何故か2個ついていて、両方から開けられる、これが危険で開けられやすいので、2個とも常に下に下ろし、開ける時は下から上に開けるようにする。

歩いている時、レストランの食事の支払い時、常にこのチャックの位置、財布の確認を常時していた、お蔭で 被害にあわなかった。
アジアの人は、日本人の持ち物、動作を常に見ている。ビジネスでは、味わえない気の使い方である。

ホテルまで歩く、地図を見ていると シクロ≪人力車の叔父さん≫が、寄ってくる、わけのわからない日本語、会話はできない英語、地図は見せても無駄(英語が読めない)人が集まると、常に 一人が、地図を持っている人の荷物を取られないか観察、旅行者気分になってともに地図に熱中するといけない。
人は、全く信用できない。

Asian ホテル (ネットで、4200円、twinの為 2100円each、朝食付き)
この価格も、かなり高い事を翌日知る。
朝食といっても、何のことはない、サンドイッチと紅茶で、レストランで200円程度、紅茶だと40円程で、欧米流の朝食付きは、割安でもなんでもない。
ホテルに関しては、少し心配したが、safety box に、パスポート、air chiketは、預けられた、
欧州方式で、金属製の箱に 封筒を入れ、keyをして、こちらに手渡してくれる。
この国では、海外渡航も多くなく、パスポートの盗難は危険性なさそう。
日本円と、台湾通貨の残りは、封筒に入れ、目の前で、金額を記載して入れた。
ホッチキスで 其の封筒を止める。
一度 引き出して 確認したが、問題は なかった。

部屋に入ると、TVは、今回見れる事確認、シャワーも出が悪いが、湯が一応出る。
昼間暑いので、早速 ベッドでひっくり返り、休憩。
ドアを開けると即右側にべッドで、枕と頭があるのは頂けない、何も考えないベッドの配置。街の目抜き通りにあるが、このホテルは大した事なし。

一人で周囲を早速散策、財布一つになったので、お金を分散して、街に出る。外は 土砂降りである、これがスコールなのか、道路わきに水が溢れている、川が流れていると言ったほうがいいのか。これから毎日夕方4時頃会うことになる。

横にマッサージの美容院のような、きれいな女性を手招きしてくれるので、ドアを開けて何をしてクレのか尋ねると、洗髪マッサージで、$3.50との事、安さと美人に心揺れるが、相棒がいるので遠慮する。
そのあと、百貨店に入り、うろうろする。
気に入りの時計は取られるとまずいので持参せず、不自由する、
台北でも、ホーチミンでも部屋には時計がない、街には時計が見えない。
10ドル程度の安い時計を頼んでも、熱心で親切である
物の値段をあらためて考えさせられた、日本は高すぎる。
デジカメが 先の紛失を気にして、価格チェックすると、日本と変わらない 大変な45万ドンという驚くべき値札である。
売り場の女性が、10代の少女のようであるが、実際は、20歳越えているそうである。なぜか初々しい。

部屋に戻り、早速二人で 街をぶらぶら、4時頃 ベトナムうどんを食べる、静かな暗い落ち着いたレストランである、持って来るお手拭は、使うと有料、色んな小鉢も持ってくるが、全てサービスでない、しっかりしている。昔の大阪の商売人である。
隣に カップルが幸せそうに、ヌードルを食べている、こちらでは いい給与の人たちのようである。
ヌードルは、韓国のれーメンの暖かい版である。
2人で、ビール、紅茶とヌードルで、75000ドン(=550円)高級店である。
屋台だと推定 2,3000ドン(2,30円でしょう)

道路を 一人で横切るのは、一斉にバイクが向かってくるので、かなり勇気がいるが、慣れとは怖いもので、二日目には慣れ、三日目には 強引に、バイクと勝負すると横切れます。
ジーと、バイクの運転手の動きを、左に見ながら、絶妙のタイミングを見はからう。
慣れると、おばちゃん、年寄りをケアして、横切ったりした。地元の人も渡れないわけです。
街には信号が殆どなく、自然に交通が流れているのが不思議で、信号もいらないのかもしれない、渋滞はかえってない。

シクロ≪人力車≫が非常に少なくなってきたそうで、国の指導で、観光客に、ぼらない国のイメージを作ろうとしているようである。
水上レストランを、川の近くに見に行った。
ここにも貧しい少年が、群がってきたそうだが、この時は全く居なかった。
トイレを使うと、使用料を請求するおばはんがいた。

日本人が経営するという喫茶店で、アイスクリームを食べる、69000ドン 少し高い、
殆ど客はいない、其の割りに従業員が多すぎる。
2Fから、バイクの群れを 長い間見ていた、飽きない情景である。
台湾の昔を彷彿とさせる、一家3人、4人がバイクに乗っている。
ホーチミンは、女性のオフィスの勤務が終わる頃、男性が外で待っていて、そのあと、二人で、市内をバイクで走り廻ることが楽しみだそうである。
夜は だから バイクだらけである。公園でもカップルがいる。結婚するまで、バイクか、公園しか過ごせないようである、儒教の精神が生きているのでしょうか。

この夜は、ケーキ屋らしき店で、ケーキとパンを買って帰り、紅茶のポットをルームサービスしてもらう。(大きなポット 2万ドン=140円)十分堪能した。お茶は最も好きなので家にいる感じである。
明日からの部屋代を交渉すると $35−に下がった。
サイゴンの第一夜は、かくして 眠りについた。


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2005年09月08日

大阪 → 台北 (サイゴンへ)

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Osaka → Taipei → Saigon
空港の出発カウンターの待合に座ると、そこは時間が停止し、世界へのどこでもドアにかわる空間である。

座席に座るといつも世界の地図を見るのが習慣で、気持ちがたかまる。
20〜30%の乗客で、快適この上なく、2:30pm前に(日本時間 3:30pm)台北到着し、教えてもらったバスを探すことから始まる。

前回の米国と同じで、若い友人との2人旅である。

個人旅行では、誰も待っていない空港を リュック一つで、即出口を出る。

出口を出ると正面に、アジアで最近多い インフォメーションの女性が出迎えくれる、色んな情報を英語で聞く バスのサービス∋間C傭吻ぬ晶蠅離好櫂奪箸粒稜
バッグの財布の所在をチェックし、お礼を言って、money change で$50 を NT$(台湾円)に変え、チケット売場に来る。
行き先の 停留所 Leo Foo (六福客銭)を 告げて、NT$135 x 2枚を支払い【往復900円】、暫く待ってバスに乗り込む、バス停の位置が換気が悪く早く乗り場で待たないほうがいい。

ホテルの行き方は、知り合い現地のS氏に聞いていたが、実際我々だけで行くとなると不安はある。 唯その安さと次の場面ば、予測できないバックパッカーの体験は魅力である。
バスに乗り込むと全員台湾人で、バスの運転手さんにも降りる停留所を告げておく。
近くの乗客にも声をかける。 

これまで外国の空港でアナウンスを聞き逃すのを防ぐため、隣の人と友人になっておく事が多い。

バスが空港を出ると、桃園のうっそうとした緑、田畑、汚れた車(10年前より車はきれいになっている)が目に入り、高層の住宅群が多いのを知る。
昔ながらの古いビル群も現れる。高速の出入口は、昔と同じであった。

バス停を降り、明日出発の朝のバスの時間を確かめ、地図を見ながら Leo Fooを探す、元々11個目のバス停だが、4つ目で降り、循環する反対廻りの方向に歩く、
最上階が中国風の屋根の伝統的ホテルという事で、チェックインのフロア−はいい。
Three starの高級ビジネスクラスであろうか。十分のレベルである。飲茶の有名なホテルである。
Apple world(ネット)で予約した、twin bedの確認したが、twin or doubleで, appleとはメールでもめたが全く問題なく 2人一部屋でOKで、7200円で済む。

そこから一時間半程度check in後、散歩した。空港から4、50分でホテルについたが、1時発関空で、3時半に空港着、時差1時間で、2時半到着だったが、故宮博物館に入るには4時前で、本日無料のガイドブックを空港で頂いたが、間に合わない。
関空発10時くらいのでないと、一日では、市内観光は楽しめない。
行天宮という、台湾式お寺があり、多くの中国人がお参りに来ていた、やはり仏教の国である。最も落ち着き、中国の文化を感じた。
最近、お経や宗教に興味を抱く。

台北へは、前回1990年、それ以前に1980年から何回か訪れたが、ビルが高く、大きく多い、バイクが減り、乗用車が増加と かなり進歩していた。
Seven eleven があちこちにあり、日本と変わらない、同じ文化圏をあらためて感じた。全く安心な都市である。

S君が、台中の出張帰りに、7時半にホテルに来てくれ、日本人が多い台湾料理の店に連れて行ってくれた。
メールでは、伝わらなかった気持ちが大いにわかり、今も友情を抱いていてくれた事に感謝した。食事をご馳走になっただけでなく、台湾流の接待で、中国式喫茶、一人
1000円くらいの貴重なお茶を楽しませてくれた。
お茶が極めて私は好きで、贅沢さを感じる。

経済環境が変わった今となっては、日本でもこんな接し方をしてくれないであろう。
S君も年齢が行き、話の度に、こちらの話の理解度に人間的成長を深く感じたひと時であった。
すぐに理解できる感性を持ち、仕事観、人生観、価値観と共通のものが多く
会えなかった10年間を見事にうずめてくれた。

小生の退社後のこの5年間の経験も高く評価していて、内心驚いた。
彼の男らしさ、忍耐強さと 年の差を越えて尊敬できるものがあった。
美味しい台湾料理を体験。糖尿の為 紹興酒は控えた。

翌日朝早く7時前位のバスで中正空港に向かう、道中 台湾の空港で働く女性と
英語で話す、英語は上手で、一人で、マンションに住み15坪ほどで、2000万と聞き
驚いた。英語のコミュニケション能力中級以上の人は、精神的に非常に楽である。アジアの人は一様に英語力がなく、意思が伝わらないのがもどかしい。


dohongrose27 at 17:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0) |