2009年01月01日

青春鉄道旅行、冬の山陰を大晦日に

雪の山冬の鳥取砂丘







城崎温泉雪の智頭







青春列車の旅で 日本海へ2年ぶりに家族4人、大晦日ぐるり兵庫一週。

朝4時起き、5時に出て、駅近くの駐車場で車を停め、大阪駅発6:00PM 網干行き快速で、上郡、智頭線、鳥取砂丘、浜坂、城崎で温泉につかり、
夜の9時過ぎ大阪駅に舞い戻りました。

長男が離れているので、家族4人の気綱が強くなった気がします、
次男と私は、大方眠ってましたが。

智頭線は、別運賃(青春切符に含まれず)だが、鳥取まで一気に近くなった様です。
鳥取までの山岳部は、雪一色で、浜坂(夢千代日記)の街は、雪国。

砂丘は、寒く、窓の外は、灰色の雲が日本海に重くのしかかり、
食事と砂の美術館を見学して、早々に戻る。
浜阪を発ち、見所の餘部鉄橋を渡る時、立ち上がると 若い鉄ちゃん達も待ちかねたように立ち上がり歓声。
眼下には、一組の人がこちらにカメラを向けていた。上からでも十分高さを味わえた。

最後の愉しみの城崎温泉は、駅近くに温泉旅館があり、駅からすぐ
飛び込み、露天風呂で暖まれた。
旅館を出て振りかえると しっとりした温泉街が心に残った。

8:23 上郡
9:40 智頭
10:09 智頭(JR)
11:10 鳥取
13:34 "
14:24 浜坂
15:04 "
16:07 城崎
17:11 "
19:00 福知山
21;19 大阪

青春切符 ¥2300 x 5 pcs.
城崎からの帰り、特に福知山からが この旅の消化試合、忍耐強く



dohongrose27 at 15:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 

2008年12月30日

年末の寒空に 車 炎上、ショッキング1

本日 夜 次男を連れて、7;30過ぎに、いつもの散歩に出て
歩き出すと、坂の上のUターンのスペースから 黒い煙がでていた、
スワ―と急いで上がると、車から黒い煙が出ていて、赤い炎が出ていた、
これは いかんと急いで引き返し、家から 急いで110番したら、その前の家が電話していたようで、名前をいいもとに戻ると、その前の parking areaを管理しているO氏が出てきて、近くに立っている若い人に注意していてた。
その下のS氏夫婦と 消防車、パトカーを待つ事 暫し、車が 
愈々燃え盛り、爆発音もするので、少し距離をおいて
見守ると、相当の数の警察、消防車が、ついぞ来ないこの狭いあたりに車があふれ、
大騒動な年末でした。 原因は、放火でなくて、自殺未遂の若い人が車に火をつけ、
自殺できずに、出て着て、片足がパンツ姿になり、Oさんに謝り、諭されていた。
第一発見者となり、警察に状況説明したが、この寒い冬空に、驚いた
ローカルな事件でした。
どこも安心な所は、ありません。不審者に気をつけて。


dohongrose27 at 22:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)daily life 

2008年09月18日

国東半島の旅3

魔崖佛 (妻子)3b0f4bfc.jpg












7.19 19:50 六甲アイランド - 7.22 早朝南港 着 で、
家族で 国東半島に行きました。
船内2泊、 サンフラワーですが、行きのrenewal の船内が美しく、
部屋が、2人部屋、1人部屋と取れるのが、最近のstyle でいい。
夕食バイキングが結果 安くつく、つい取りすぎ、妻に叱られました。
次男は良かったようです。

夜の 明石大橋が 最高、 海水の風がここちよい。
日にちが取れるなら 

志布志(鹿児島) −鹿児島を満喫 − 宮崎を北走 − 阿蘇、九重 −
別府 〜 帰る のコースがいいでしょう。

net 予約で 20% less のみ、

安く 行くには、チケットショップで、関西汽船の株主優待を 一枚1000円で買い、
その足で、代理店で切符を買えば、5割引きとなり、結果4割引となり、
(1000円支払いの為)、綴りの未使用分は、買い取ってくれるとか、
チケット屋が何でも教えてくれます。(後に知る)
志布志は、5%割引のみですが、提携で適用うければ good,

車持参しましたが、レンタすれば、さらに割安となります。

熊野魔崖佛、国東半島の石仏を妻が見たいとの好みにより、行きました。
寺の門の仁王が、石でできているのが特徴だそうです。
小生は、ネット発注と情報とりと運転のみ
古代を思わせる地域で、悠久を感じます − 訪れる人少なし。

いい宿で 食事は食べきれない程ありました。
10年ぶり位の家族との長距離旅行でした。

半額で行ければ、また 来年行きたいですね。
船室

dohongrose27 at 11:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0) | 心の旅

2007年12月05日

─ラクダに乗って (9月12日)

日の出ラクダに乗って








9月12日
夜中寒くなり、マットを引っ張り、テントの中で寝る。
朝起きるとすぐ日の出を見に行く、鮮烈な感じではない。
朝食は、パンのみを食べ、迎えに来たラクダに乗り、隊商のように繋がれて
歩くのだが、砂丘の砂のみの中を通ると、まさに ‘月の砂漠を、はるばると−-’の世界である。最初はいい感じであるが、2時間歩くと長くて堪能する、というか、股を開いているせいで、その股の筋肉が痛くなり、降りたくなる。
最後砂漠の入り口で、ラクダが馬に驚き、逃げようとして隊列が乱れたが、K氏の冷静な制御で事なきを得た。待つ事暫し、4WDが来て、元のホテルまで戻る。
無償提供の部屋で着替えを済ませ、シャワーを浴びた。
意外とこの事に時間がかかり、12時近くになり、ガベス行きがなく、途中の街までしか
行かないってことだが、一緒の女性に引っ張られて、それにした。
人数が集まるまでルアージュは、走り出さない。スピードは速く、走ると涼しいが、
止ると暑い、割合早く途中までは行ったが、そこからガベスが集まらない。
‘gabez, gabez’ と男の連呼が聞こえるが、中々ルアージュの座席が埋まらない。
待つ事しばし、間にバナナを食べる、漸く走り出す。
結構スピードが速く、うとうとしていると、車が止った、何とガベスに着いた。
列車の発車の4時まで時間が1時間以上もあり、またもや若い女性の主導で、スタスタ
歩き出す、適当な店もなく、暑い中、漸く食べれそうなスタンドバーの様なのが見つかり
何やら挟んだフランスパンを食べる。大きすぎて、適当に切ってもらうが、ボリュームが
ある、一切れ残し、駅舎まで戻り、値段も安いので、一等って事になる。
4時にスタートし、途中海岸を見ている間は良かった、途中の駅で女性は降り、2人だけになり、暫くすると日が落ち、6時間以上かかり、10時半位に到着する。
途中 生命保険のお姉さん連中が隣の席で、延々喋くり、漸く駅につくが元気で、
こんなにも多くの人がこんな時間に列車で駅に着くのが不思議である。
夜は長い。タクシーを見つけて即乗り込み、無事ホテル近くまで行き、そこから徒歩で
フラットに入る、そぉーと音を立てないように部屋に入り、衣類を着替えシャワーを浴び、
居間に行くと、H氏の伝言があり、‘安部首相辞職’と買い物の言伝があった。
長い1日で、概ね大きなイベントは、終わった事になる。
今日一日で、砂漠の入り口の深南部から海近くの北の市内に戻った事になる。
無事2人が戻った所でほっとして、ぐっすり眠りにつく。



dohongrose27 at 15:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 

Д鼻璽困粒后 9月11日)

ドーズの街スリッパ屋









9月11日
朝食はクロワッサン、ゆっくり散歩する。
動物市場に行く、メディアにあり、真ん中で牛でも売買するのだろうか、
そんなもんでなくて、ラクダでしょうか、平日でもあり、なにもない広場である。
周囲に店があり、冷やかす。
K氏 早速 皮のスリッパを買う。中々いい材質で、いい仕事をしている。
職人らしく、誠実である。
ここは、革製品、履物の生産地である。
少し見ていると、店の男が、中に招きいれ、サハラ砂漠の地図を見せて、
4WDで、砂漠を走破し、食事もいれ、オアシスからオアシスに移動して、
ガベスに行くツアーを、DN350(急ぎ)DN450 (ゆったり)を提案してきた。
これは、砂漠ツアーなるものを、将来組める事になる。
夕方たった10km程度を4wdで走っただけで、気持ち悪くなり、
ダカールラリーなんてものは、全く興味なくなる。
何でも体験である。





メディナホテル 中庭







部屋砂漠の上で







暑いので、宿に戻ると、日本人らしき小柄な女性がいて、ジャパニーズと聞くと
そうだとのことで、夜行で来て、ツアーに申込み、夕方まで、無料で部屋を貸してもらい、昼寝ができるという幸運さによろこんで煙草をスパーと吸っていた。
洗濯しても、暑いのですぐ乾く。
今日は出発まで部屋を交換してくれって事で、階下に変わるが、シャワー室が近く、
ここでのシャワーが広くていい。夕方までのんびり過ごして、ホテルで働いている
黒人男女とも親しくなった。背の高い男は、カンフーと日本人がごっちゃで、
!アチャ-オチョー!と言ってやると喜んでいた。それ以降会えば アチョー が
挨拶である。逆に あのアチョー男しか、ドーズでは思い出さない。
昼食を取りに、3人で街に出る、といっても2軒しかなく、1軒は、あのうるさいお調子もの黒人の為、別の1軒に行く。有名なクスクス料理である。
食べれた代物でなく、動物の餌のようなもので、ジャガイモのみ食べた。
かの女性は、美味しそうにパクパク食べていた、それ程空腹だったのでしょうか。
またホテルに戻り、ひとしきり話をして、ぼっと過ごす、相棒は、ベッドで眠っている。
夕方6時になり、やっと出発準備で、小さなロビーで、またひとしきり待つ。
日本人と思しき若い人が参加するが、あまり話さない、そこに あのアチョーが来て、
彼にも揄うが、わからないという事で相手にされないので、不思議がっている。
そんなの言うのは、僕みたいなおっちゃんしかいないのだ。
K氏が話し掛けて、日本人という事になり、総勢4人の貸切で出発、
途中大きなホテルの邸宅のような一群を通過すると、ラクダの一群にあたり、欧米人が
たくさんいる。そこから10km程度の正にサハラの入り口、かかりで、テントを通過。
砂漠に車を止めて、皆で砂漠遊びをすることになる。のんびりした白人で、気楽にここで商売しているが、楽なもんである。
段々と日が暮れてくるので、また元のテントに戻り、そこが宿とのことである。
ここですか? 近すぎる!
運転手の白人は、早くも帰る。
あとは、ベルベル人のお爺さん1人で、ソファーやベッド、食事を作ってくれる。
日が落ち出しだので、サンセットを皆で先ほどの砂漠のところまで行き、
サンセットを撮る。太陽を後にして撮ると、黒いシルエットが浮かびいい写真になると
フランス在住の若き物理学者が教えてくれる。
そんなこんなで、日が暮れ、満天の星をながめ、またクスクスを食べ、
テントの中に入らず、ずーと外にいて、空を見続けた。
食後 甘いお茶を振舞われ、老人の楽器で、物悲しい歌を聞くことになる、
そのうち 踊りを奨められ、一人 アンコールワット踊りと天神踊りを
汗まみれで踊り、夜はふけていった。




太陽を背に、黒いシルエット4WD




dohongrose27 at 15:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 

2007年10月23日

サハラ砂漠の 北の端の街 ドーズ (9/10)

車窓 ドーズまで列車 駅








羊の 店羊の皮がぶらさがり









9月10日
朝5時起床、急ぎ支度し、H氏の出勤を見送り、タクシーを止めて
無事 bus station に着く。
独特のアラブの人の待合の中、待つ事しばし、8時に出発。
市内から穀倉地帯の黒い土を過ぎ、緑が徐々に少なくなり、オリーブ畑が
延々と続き、その内 かくして 砂漠になっていくと思える地域となる。
途中 何にもなさそうな、オアシスの街で、休憩。
黒ずんだ羊の皮がぶら下げてある近くで、ジンギスカンの野生版で、
肉を細切れにして、網で焼いていて、男が数人その前に立っている。
そこにテーブルがあり、注文するのであろう。
とにかく外は暑い。
そこを過ぎると 延々また不毛地帯を走り、着いたところが、
ドズールという所で、殆どそこで降り、当初会話したドイツ人夫婦も
そこで降り立った。 ここが最も観光のできる場所である事を後ほど
ガイドブックで知る事になるが、砂漠のラクダーツアーは、ドーズのようで
ある。ドズールで暫しバスは止まり、待つこと暫し、バスは、地元の人を
乗せて、ドーズへ。途中 真っ白な地帯を走ったが、そこは塩湖で、
塩であった、一ヶ所で観光客が多く、塩湖に集まっていた。
先に降りると、そこがコースになっているのであろう。
数時間走り やっとドーズに着く、客の呼び込みを、相手にしながら、
目的地の Van(20) Marsという名のホテルに着く。
結局11時間かかった(9時間の予定が)、遠い、疲れました。

早速 黒人の女性(受付)と交渉するが、既にセットになっており、
砂漠ツアー付で、45DN と安い。今日は泊まり、何と明日の夕方
車で砂漠まで送ってくれるようである。
英語が良く通じるし、彼女が良く理解できるので安心した。
早速 シャワーを浴びる。その後、先ほど聞いた、2軒しかない 1軒の
調子のいい黒人の店で、食事をとる(無難なチキン)。
アルコールは、禁止されている。抜け道としては、ホテルにタクシーで
ビールを買いに行くそうである。値段はともかく、知らない地で、相手の
言うままタクシーも少しリスクである、よって水で我慢する。
水2本込みで、10dn. 屋上のガーデンで座るも、ビールなしでは、つまらない。
泊り客のイタリア人家族ががやがや出てきた。部屋のクーラーが点かないので、
確認に行くと、別途10DNとかで、我慢する。
締切ると暑いので、途中から内側の窓をあけた、外から押せば開くが
何とでもなれって事で眠る事になる。




塩湖砂漠




dohongrose27 at 15:13|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 

ァ.后璽后sousse) の海 (ラ メール)

064ス^スの海066 スースの風景、木と人








070スース市内073おにぎり








9月9日 スース

再び列車に乗り、チュニス方面に向けて、スースに向かう。
スースに降り立ち、海岸までの通りを歩く、人の通りも多く、
観光地の雰囲気が漂う。
歩いていくと海岸近くに来ると、突然海が目に入る。ラ・メールである。
手前が薄い緑色だが、上は真っ黒なような、大変濃い色である。
これが地中海の色かと驚いた。
H氏の奨めで、水着は持参していたが、人も居て、着替える所もないので、
半ズボンを脱ぎ、トランクスで泳いだ、初めて地中海で泳いだ。
海は 泳いでいる人も少ないが、波も静かで、ゆったりと浮けた、
淡輪の海のごとく。
日本の様に、ロープを引いたり、浮きを浮かしたりというのがない。

このあと3度泳ぐ事になるが、パックでは、こうはいかないであろう。
その後、昼食を取り、旧市街を歩く。
急な階段の塔に登ると、市街が見え、風も良く吹き、ここち良い。
4時まで列車がないので、乗合自動車(ルアージュ)で帰る事を決め、
ルアージュステーションまで、タクシーで行く(2 DN)。
ルアージュstation は、街の外れにある。市内を走らせないというか、
街から街(市)まで、高速で走れるように考えられている。
Station には、ルアージュが、数十台とまっている。
人数が集まるまで出ない、3人一緒の為、少し時間がかかる。8Dnで、
2時間かけてtunis に戻る、そこからもタクシーで、アパートまで戻る。
Tunis に戻った所のすぐ手前に、南の中央バス集合所があり、そこで
Douz までの明日のバスの切符を買った。DN26.54 x 2枚で、DN53.-支払う。
既に 何度か下見に来てくれていて、切符売り場の人とも顔見知りである。

戻ると、早速買いだしである。オムレツ&カレーライスを少し口に入れ
早めに明日の準備をして床につく。
10時着床。




dohongrose27 at 14:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 

2007年10月10日

ぁ\こΠ篁此el jem part 2

el jem part


038階段の上で2人039壁と二人








040競技場の大きさ041大きさNo.2








042光と影044外壁








050壁を触る054遠景








057憩う人々059デミカップ








dohongrose27 at 16:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

 9月9日 世界遺産 el jem, 地中海のsousse へ

011el jem 駅014el gem 全景








9月9日

EL JEMに列車に乗って行く。
朝4時起き(もう3時位から目を覚ます)で、5時15分に家を出るがタクシーが
捕まらない、この時間の下見はできない。
機転を利かし、hotel diplomatへ移動し、やっと捕まえる。
6時発の列車で、2,3時間して到着した。

トイレは、使えないという話であったが、座りにくく、便器の縁に座ると言う事で
あったが、実際 座って少し落とした。紙もついていた。
流すと落ちるが、紙が落ちない、別途丸めた紙で押し込みなんとか落とした。
流さないと、間違いなく次の人が落とすと詰まる事になる。

エルジェムは、白い壁に青い色を着けて独特の建物カラーである。
駅で記念に低いプラットホームで写真を撮る。

歩くと突然目の前に出現する円形劇場は、ただただ圧倒される。
ローマ最大級のものであるとか。
かなり上ぼり下りし、見事な巨大な劇場を周囲からも見る。
外国からの観光客が多く、女性も胸元を開けて大胆である。
遺跡と女性に交互に目が行く。
円形の劇場の下の地面に降り立つと、更に地下に部屋や通路があり、ここで
待機して、猛獣が出て来たりして、勇者と戦うのであろうか。
遺跡は、全て地下が発達していて、涼しい。
食物の保存や暑さ対策で、地下を上手く利用していた事がわかった。
アンコール寺院の遺跡とは違う。現代も住居に地下室を作るのも有効だなと思う。
見学後、カフェーというか、戸外のテーブルで、コーヒーを食す。
次に列車に乗りスースに行く事となる。


003トイレ007オリーブ畑













019崩れかかった遺跡020円形競技場








022観光客多し026競技場上から







027競技場と街並030柱の間で








031柱柱033el jem の広場に立つ







dohongrose27 at 11:33|PermalinkComments(3)TrackBack(0) 

2007年10月03日

ブラレジアの遺跡 と ドゥッガ

9月8日

朝はゆったりで、8時に、チャーターした4WDで、ハイウエイを110kmで
大平原のかつてのローマ帝国の穀倉地帯をひた走りに走る。
この行程が最も快適で、豪華版であることを後ほど知る事となる。
運転手付で 1日DN220,-(=\2万)の費用であり、H氏が支払ってくれる。
日々の節約、お給金を考えると、大変あり難い。
オリーブの木が多く植えられている。H氏曰く、昨年旅した阿蘇に似ているとの
説明。
この地域は乾燥していてるので、豪州から取り寄せたのか、ユーカリの木が
街道の両側に整然と植えられている。ローマ街道と謳える風景である。
現地の言葉では、’ケリトース’高い木である。
車で1時間で、ブラレジアに到着する。


2000年の時空を超えてーヌメディアの遺跡
ブラレジアに 壮年にして立つ

ブラレジア gateアーチ








ブラレジア 文様





ブラレジアの柱に立つ








モザイクの文様が石をちりばめて作られている
高度な技術



起伏のあるなだらかな平原の中に、紀元前4Cヌミディア王国(ベルベル系の土着の人々の民族国家)が築かれていた。カルタゴの勢力範囲の中にあり、強力な騎兵を有す。
日本では、竪穴式住居で生活していた時代であろう。


林立する柱029地下遺跡







ローマの属州となっていた。遺跡は地上に余り出ていなく階段を降りて地下の住居を見る。
暑さを防ぐのに地下に住んでいたのか、中は涼しい。
昨日からチュニスは、10℃位温度が下がり過ごしやすい。35℃以上だと暑くて全てはまわれない。


ブラレジア 全景女神像(ブラ)








  ブラレジアの全景        女神像は、絵に水をかけると見事に浮かぶ。


床のモザイク絵043海で戯れる







ブラレジアからドウッガへ移動し、遺跡近くのレストランで、昼食を取る。
大変落ち着いた所で、野菜を食し、パンをオリーブオイルやピマントーの皿に
浸すとピリカラく美味しい。猪の肉を良く煮込んだものがでる、やわらかくて美味しい。
軽くビエールを飲む。
食後 ドウッガへ、丘をかなり登っていくと、突然大きな柱が目に入る。
Theatre, 劇場跡で、同種のものがなく、見事なもので感動した。
中の部分も色々と1時間半近く歩き疲れたが、涼しくて良かった。
K氏が熱心に隈なく見て回っていた。この1日は大変有意義な見学で、世界遺産の
ドウッガを丹念に見て回れた。
昨年のアンコールワットと無意識に比較して見れた様に思う。
800年と2000年では、石の風化が違う



050ブラレジア 神殿に立つ066ドッガの神殿








078女神小像少年








      ドッガの神殿       村の少年


dugga の 大きさ (正)ドゥッガ








小生が左の神殿の下に立っているので、その大きさがわかるでしょう。

dohongrose27 at 00:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)