2009年11月17日
バンコクの旅 no.4
<
11月2日
最終日に やっと目的の王宮を訪ねる事になる。
皆も期待しての訪問でしょう、広大な通りを車で走り、王宮の入り口に入ると、
大変な人で、そこは都会である、easy food restaurant, travel agency, bank,
所持金なくても、銀行で、カードから出勤して、幾らでも使える仕組みである。
入場料もB350 と当地では、破格である。
建物にさしかかる前に、テントに軍隊が駐在して検閲する ものものしさである。
いよいよ広大な敷地の 最初の建物群に出くわす、黄金の巨大な仏塔(pagoda)には、
目を見張らされるであろう。周囲の建物の柱に、埋め込まれた宝石のちりばまられた
様子は、富を集めた繁栄を表している。
仏像、パゴダとともに、金箔が剥がれと、次々 その上から惜しげもなく金箔を新たに
貼っていき、常に黄金色に燦然と輝くのが、仏教と権威の象徴であり、
中国、朝鮮と離れて、海を隔てて、独自の仏教文化が花開いた日本とは、違っている。
できるだけ長く その御利益のあるgold の中にいて、その周りの壁画を見る。
壁画にも、金箔がはられていて、侍階級、貴族、王、庶民、動物(象)と描かれていて
修復師が、3人位で、修復中であった。
皆さんには、アンコールワットの広大な壁のレリーフを見せたい位で、絵と違い 壁への
彫刻も立体的で、徐々に、東南アジアの至宝がわかるようになってくる。
建物に張り付いている、不動の衛兵を、目にしながら、銃器、剣の展示館を2か所見て
整備された美しい中庭をあとに、タクシー、地下鉄を乗り継ぎ、ホテルに戻り、
2:30になった事をホテルマンに告げ、許可を取り、部屋の荷物を階下に移動し、
荷物を一時預かりしてもらい、遅い昼食をとる。
まだ 時間もたっぷりあるので、カルフールに車で行き、タイの物産を購入し、ホテルに戻り、夕闇迫る スワンナップ空港に一路急ぐ、たっぷり時間もあり、chcek in も8時位に済ませ、手ぶらになって、軽い夕食も済まる。壮大な空港内は各国の沢山の人が行きかい、人いきれで疲れるので、早く入管手続きを終え、非関税の空港内で最後の買い物。
11時のtake off に向けて、最後に乗り込むが、また地上からのタラップとなり、
1st, business class から、一段一段踏みしめながら、スワンナップの機上の人となる。
席も指定どおりで、足も延ばせ、隣に座ったビジネスマンと安心感から久々に仕事会話にんだ。
2009年11月12日
bangkok no.3
washing room/ separate shower booth
chaophya park hotel
11月1日(日)
朝 いつものようにゆったりと食事すると、朝一番に チャトゥチャック市場の
朝市で、買い物をしたいとの要望が出る。私は空のリュックを持参することした。これが、結局役に立ち、大量に押し込めた。
それでは、即 もうタクシーで行って、戻ろうということにして、(遠くないので)場所を、フロントマンにタクシーの運転手に伝えてもらい、即 right place に到着、大変な人で、一般の地元の人が多いとかで、日曜日で賑わっていた。鶴橋の様なところでしょうか。
そこでは、シルクの生地、スカーフを、2人の姉妹は、B4000も、大量に買い、
4ヤードB400とかで、誠実そうなインド商人から買う。シルクが値打ちであろう。
大きな塔が目印で、早速バーツが不足して、1万バーツを交換。
ホテルに戻り、昼食をとり、少しゆっくりして、王宮に行くことにする。
折角持参の海パンで、プールに、さっと着替えて、20分位 しっかり泳いだ、泳いだ後、デッキチェアでゆっくりすわっているのも、気持ちがいい。
いざ またファランポーに行き、駅員、駅の外のスタッフに聞くと、出発が遅く、3;30pm までの入場となり、1時間程度しかなく、急遽変更して、
人のいい中年の伯父さんのタクシーに頼み(スタッフに伝えてもらう→この方策がいい)ジムトンプソンの家に行く。今日は休みかもの案内もあり、心配したが、M氏が家の日本語表示をすばやく見つけて、渋滞の中 車を降り、徒歩で ジムトンプソンの屋敷に着く、そこには、沢山の観光客がいて、シルクのショップもあり、open であった。
そこでガイドをしてくれる女性の日本語の丁寧さは、格別で、知性の高さを思わせた。
説明を受けてる若い日本の女性達の質が悪く、行儀もことば使いも悪く、叱り飛ばしたい
のを我慢した。 ジムトンプソンは、タイシルクを欧米に知らしめた人という事と国王の妹が目をかけた人で、住まいは、ユニークなタイ伝統の材質、建築に合理的なものを組み合わせた別荘のようなものであった。
女性には、人気の場所。
そこから夜のチャオプラヤ川のナイトクルーズ(B1500/人)に参加のため、少し 早いが
タクシーを走らせた。メータータクシーでなかったが、M氏の足の負担もあり、即乗車できるにこした事はなく、交渉は以降は早く切り上げた。
運転手の早合点で違う乗り場に着き、確認を数度して、もっと大きな場所に移動してもらうと、そこが目当ての波止場で、観光客が既に沢山待ち構えていた。
ホテルを通じて 少し高いが、先に押さえてもらったせいもあり、チケット売り場に行き、名前を告げると相手はすぐに確認してくれた。 B3000 の支払いって事になり、
一瞬 頭が混乱した、安くなったのか?計算では、6000だが。聞いてみると、既に3000 カードから引き落としているとの事で、強く抗議した。相手はあまり気にしていない風で、こんな経験は初めてで、ホテルの予約で、credit card を見せ No. を tel していたが、彼等の説明不足ではある。
こういう会社は、金銭には、かなりしっかりしている印象を受けた。
乗船までに時間もあり、ホテルの小さなショップで、シルクの jacket を女性軍が買うのに参加、其のうち時間となり、今度は少し労力をかけ、一歩ずつステップを上がり、乗船する。
夜の川岸は、イルミネーションも賑やかで、華やかな装いで、気分は高揚する。
欧米人は、こんな雰囲気が好きである、我々の席は、keep されていて、最初は
ゆったりしていたが、アルコールも有料で、料理もバイキング形式だが、今ひとつで、
それでも、歌手が歌い、演奏があり、伝統ダンスも少し見れ、対岸の寺院のイルミネーションが見えると、かなり幻想的になり、クルーズの雰囲気がでる。
テーブルに、ホテルのmessageがあり、先般のB3000 の先払いが記載されていた。
I got it.
後半、食事が済めば、手持ちぶたさで、上の甲板が騒がしいので、上がって見ると、
オープンな船の上にテーブルが並び、その少しの空間で、演奏と歌手が移動し
賑やかに歌い、踊っている。 上のほうが、全方向の景色、イルミネーションが見れて
クルーズに浸れる。Mさんが、もう一段上がるには、また降りる事を考えると、踊り場が
狭くて大変である、でも見せてあげたかった光景でもあった。
テーブルから離れて、Mさんも 川の風を受けながら、灯りに見入っているのが
印象的で、寺院、王宮のライトアップは圧巻で、思わず声が上がった。
狂ったような音楽と踊りの興奮が冷めないまま元の波止場に戻った。
宴は終わった。 こんなもんである、演奏を聴きながら、景色を見るだけの方が
valueがある気がした。
よく楽しんだ一日は、いつの間にか地下鉄も乗り越し、終点の暗い郊外から 余計な
タクシーにも乗り、無事ホテルについた。
無事なれば良し。夜はいつも出歩かないので、刺激的な経験をした。
2009年11月11日
bangkok の 旅 no.2
oct.31, 2009
バンコクで最初の朝が明けた。
あまりに赤い太陽が大きな窓から差し込む、早速 いつもの様に、
S氏に声をかけ、近辺を歩く。
ホテルは、敷地も広く、きれいである、朝も早くから車が疾走し、歩道橋を
渡りながら、店の通りを見出すが、公園が近くになく、殺風景ではある。
朝食は、7時半を過ぎて、皆でテーブルにつく。
M氏の顔色もよく、盛りだくさんのバイキングスタイルの中、宿泊客も多く、
シーリアル、牛乳、トマトジュース、お粥と前半食べ、その他の
野菜、ベーコン、オムレツ(その場での調理)、トーストとたっぷり食べる。
女性軍もしっかり食べて、満足感があり、朝食はホテル代に included.
ゆったりの食事のあと、近くの rachadapiesk 駅に、ホテル近くの河のあたりにたむろするタクシーを振り切り、ゆっくりと歩く。
頗る早いエスカレーターに乗りつつ、改札に立つ。
早速 I氏に教わった方法で、プラ製の黒い碁石の様なチップを使い、改札を通る。
親切なスタッフの教えてもらった リフトを活用して、プラットホームに立つ。
二重の扉になっていて、電車が来ないと開かない最新式。
地下鉄は、何故か 厳戒態勢で、係官にいるゲートを通り、異物検査をしている。
終着のファランポーン駅で降り、駅周辺の案内者に聞くと、王宮は、本日 午後2:00からとかで、急遽 アユタヤ訪問に切り替え、中央駅で、一人B15の切符を買い、
待つ間もなく、乗れるとかで、先にチェックして、乗車することになる。
この列車へのタラップが高く、暫し躊躇うが、S氏が上からM氏を後ろ向きにして、
両腕を差し込み、一気に2段 引っ張りあげたのには、恐れ入った。
その体力の余韻もあるうち、2人づつ別にビニール製のシートに腰掛ける。
11:00 過ぎの定時に、低いプラっとホームから、列車が出る。
車窓から市内を過ぎ、暫くして眼下、線路脇に、スラム的人家が軒を連ねる、
3度目の光景だが、貧しい生活を垣間見る。
田園風景を車窓にしながら、S氏が ビデオを撮り、1時間40分位で、目的の
のんびりしたアユタヤ駅に到着する。
構内、プラットホーム、駅舎の入り口からの景色と 以前と何も変わらない。
女性達が用を済ませんている間にも、帰りの切符購入の折衝、ツゥクツゥクの
運転手の交渉と矢継ぎ早に済ませ、背を向けたら最終妥協price が出たので、OKし、
お仲間を呼ぶ、乗ることになった車(三輪ミゼット)は、特に小さく、屋根が頭に
つかえる程であったが、M氏が上がって乗るのに、また一苦労だが、小さい事が幸いして、
腰を掛け、足を上にあげ、移動する事で納まり、まあ 彼等も他の快適な味を知らないので、それはそれで、外から風を受け、オンボロ車は行くであった。
橋を越えると アユタヤの遺跡のある地区で、最初の遺跡や祭ってある神を拝み、
3か所目に、最も 壮大な遺跡群を歩く、遺跡は、ヒンズー教までさかのぼって、
古式蒼然としたというか、赤茶けた色を年代につれて黒くした、100年単位で年月を積み重ねた様相で、殆ど 手つかずの そのままっといった感じで、ここだけが価値ある空気と空間の場所であった。
途中 B20で食べれる ココナツを、2つで4人で飲み、底をスプーンでさらえた果肉が
妙に食べやすかった。
2時間B400で、3か所であったが、不思議な事に、前回1時間で、更に 山田長政の記念館まで廻った事を思うと、相当早足で回ったのだろう。三輪を走り廻らせていた印象のみ残るが、受けた印象は、変わらない。
今回2度目で、2006年に見た世界遺産、アンコールワットの遺跡があまりに広大な地域で、精緻に過ぎた為、重くはのしかからなかったが、友と静かに歩いた16世紀の地は、
特別な異空間であった。
最初に、東南アジアの遺跡を見た、友人たちの受けた印象は、いかばかりであったろう。
帰りのプラっトホームは、旅行者で溢れていた、4時過ぎに来た列車は、立ち位置も違い、
地面から直接デッキに乗らなければいけないもので、完全にimpossible で 諦めた。
次に来た列車にようやく乗ったが、あらかたこの前のに、殆どの乗客が乗り、空いていて
座れたが、今度は、木の座席で、女性陣は、すわり心地は悪かったでしょう。
帰りは、スピード速く良かったが、中央駅に近づくにつれ、遅くなり、着いた時点では、すっかり暗くなり、帰りの食事は、ファランポーから2つ目の バンコク地場資本の
トップランクの ジュシタニホテルでの宮廷料理とのことで、二の返事でホテルのテーブルについた。 食事も優雅で、ワインが胃に沁みた。priceは少々 高かったが、カッコよくサインしたレシートは、失くしてしまった。 そんなわけで、かくも贅沢な一日を過ごし、一同家路を急いだのであった。
バンコクで最初の朝が明けた。
あまりに赤い太陽が大きな窓から差し込む、早速 いつもの様に、
S氏に声をかけ、近辺を歩く。
ホテルは、敷地も広く、きれいである、朝も早くから車が疾走し、歩道橋を
渡りながら、店の通りを見出すが、公園が近くになく、殺風景ではある。
朝食は、7時半を過ぎて、皆でテーブルにつく。
M氏の顔色もよく、盛りだくさんのバイキングスタイルの中、宿泊客も多く、
シーリアル、牛乳、トマトジュース、お粥と前半食べ、その他の
野菜、ベーコン、オムレツ(その場での調理)、トーストとたっぷり食べる。
女性軍もしっかり食べて、満足感があり、朝食はホテル代に included.
ゆったりの食事のあと、近くの rachadapiesk 駅に、ホテル近くの河のあたりにたむろするタクシーを振り切り、ゆっくりと歩く。
頗る早いエスカレーターに乗りつつ、改札に立つ。
早速 I氏に教わった方法で、プラ製の黒い碁石の様なチップを使い、改札を通る。
親切なスタッフの教えてもらった リフトを活用して、プラットホームに立つ。
二重の扉になっていて、電車が来ないと開かない最新式。
地下鉄は、何故か 厳戒態勢で、係官にいるゲートを通り、異物検査をしている。
終着のファランポーン駅で降り、駅周辺の案内者に聞くと、王宮は、本日 午後2:00からとかで、急遽 アユタヤ訪問に切り替え、中央駅で、一人B15の切符を買い、
待つ間もなく、乗れるとかで、先にチェックして、乗車することになる。
この列車へのタラップが高く、暫し躊躇うが、S氏が上からM氏を後ろ向きにして、
両腕を差し込み、一気に2段 引っ張りあげたのには、恐れ入った。
その体力の余韻もあるうち、2人づつ別にビニール製のシートに腰掛ける。
11:00 過ぎの定時に、低いプラっとホームから、列車が出る。
車窓から市内を過ぎ、暫くして眼下、線路脇に、スラム的人家が軒を連ねる、
3度目の光景だが、貧しい生活を垣間見る。
田園風景を車窓にしながら、S氏が ビデオを撮り、1時間40分位で、目的の
のんびりしたアユタヤ駅に到着する。
構内、プラットホーム、駅舎の入り口からの景色と 以前と何も変わらない。
女性達が用を済ませんている間にも、帰りの切符購入の折衝、ツゥクツゥクの
運転手の交渉と矢継ぎ早に済ませ、背を向けたら最終妥協price が出たので、OKし、
お仲間を呼ぶ、乗ることになった車(三輪ミゼット)は、特に小さく、屋根が頭に
つかえる程であったが、M氏が上がって乗るのに、また一苦労だが、小さい事が幸いして、
腰を掛け、足を上にあげ、移動する事で納まり、まあ 彼等も他の快適な味を知らないので、それはそれで、外から風を受け、オンボロ車は行くであった。
橋を越えると アユタヤの遺跡のある地区で、最初の遺跡や祭ってある神を拝み、
3か所目に、最も 壮大な遺跡群を歩く、遺跡は、ヒンズー教までさかのぼって、
古式蒼然としたというか、赤茶けた色を年代につれて黒くした、100年単位で年月を積み重ねた様相で、殆ど 手つかずの そのままっといった感じで、ここだけが価値ある空気と空間の場所であった。
途中 B20で食べれる ココナツを、2つで4人で飲み、底をスプーンでさらえた果肉が
妙に食べやすかった。
2時間B400で、3か所であったが、不思議な事に、前回1時間で、更に 山田長政の記念館まで廻った事を思うと、相当早足で回ったのだろう。三輪を走り廻らせていた印象のみ残るが、受けた印象は、変わらない。
今回2度目で、2006年に見た世界遺産、アンコールワットの遺跡があまりに広大な地域で、精緻に過ぎた為、重くはのしかからなかったが、友と静かに歩いた16世紀の地は、
特別な異空間であった。
最初に、東南アジアの遺跡を見た、友人たちの受けた印象は、いかばかりであったろう。
帰りのプラっトホームは、旅行者で溢れていた、4時過ぎに来た列車は、立ち位置も違い、
地面から直接デッキに乗らなければいけないもので、完全にimpossible で 諦めた。
次に来た列車にようやく乗ったが、あらかたこの前のに、殆どの乗客が乗り、空いていて
座れたが、今度は、木の座席で、女性陣は、すわり心地は悪かったでしょう。
帰りは、スピード速く良かったが、中央駅に近づくにつれ、遅くなり、着いた時点では、すっかり暗くなり、帰りの食事は、ファランポーから2つ目の バンコク地場資本の
トップランクの ジュシタニホテルでの宮廷料理とのことで、二の返事でホテルのテーブルについた。 食事も優雅で、ワインが胃に沁みた。priceは少々 高かったが、カッコよくサインしたレシートは、失くしてしまった。 そんなわけで、かくも贅沢な一日を過ごし、一同家路を急いだのであった。
bangkok first night
10月30日(金)2009.
朝 いつもより少し早く起き、オートミールとヨーグルトを食べ、昨夜パックした
バッグを担ぎ、普段着で桃山台まで行き、待つこと暫し、中国自動車道からバス
で合流した、友人S氏と地下鉄を乗り継ぎ、難波で、ラピートに乗り、空港まで。
4Fの中央案内所の待ち合わせを、間違え北ウイングの入り口から入ってしまう。
S氏が待つ間、外国で使える携帯電話の手続きをしにいく、まだ来ていないのを
おかしいなと思い、通路を中央よりに歩くと、2人連れの女性を見つけ、声をかけ落ち合う。
S氏が、戻ってすぐ、タイ航空のカウンターに行き、手続きを行う、
混んでもいなく、スムーズにチェックインするが、座席は決められているようで、
融通はきかない。軽食を2人が摂った後、通関検査、パスポート検査を受けた後、
早くも搭乗口のゲートで待つ。
スムーズに乗り込み、トイレのすぐ近くの後尾の席に、並び、M氏の足下が、伸ばした
状態でも 少しゆとりがあり、良かった。
ワインを少し飲んだのが良くなく、Mさんは、気持ちが悪い様子であった。
着陸は、通常より早く着いた事もあり、gangway のwing でなく、タラップとなった。
‘これは 困った 降りられない、ステップが多すぎる。
機内スタッフと交渉し、自動の箱になった、エレベーターを引っ張ってきてくれ、
建物近くの地上までつけてもらう。これは便利である。
スタッフの好意で、スムーズに建物に入れ、税関のパスも殆ど待たずに、私とM氏は、スワナップ空港に入国となる。
あとの2人が並んで、入国パスした時点で、すぐ近くのmoney changer (bank)で2万円、
B7000を交換。
ネットで調べたタクシーの受付は、出たらすぐあるが、価格がB1200と怪しい。
暫く待たせ、カウンターで聞いた1Fに降り、状況を見て やっとわかる、
カウンターといっても、デスク一つで、何やら紙切れに書いてわたしている おばちゃんがいる、あれこれ話すと、きっとこれに違いないと思い、2Fから友人3人を呼び、列に並び、何か もわーと暑い、半袖でないとやれない空気の中、元気なおっさんのタクシー
(メータータクシー)に乗り込む、高速は快適で早く、運ちゃんの調子もよく、歌うように、踊るように、機嫌よくハンドルをとる。市内の境界が近付くと、急に渋滞となり、
1時間以上かかって、ようやくホテルにたどり着く。
割安との事で、期待していなかったホテルがロビーが大きく、3人の女性の声が歓声に変わった。カウンターで声をかけると、‘you mr.watanabe’ と来る。’how did you know?’
岩田氏が隅のロビーで待ってくれていた。
相変わらずの優しい笑顔である。
6Fの部屋に上がると、Mさんのベッドが低いとの事で、その高さだと、隅からヒョイとは立てない。メッドメーキングの可愛い女性とフロントの3元電話で、了解をとり、
自分の部屋のベッドを運び入れ、重ねるも 今度は高すぎる、そこで、スペアのベッドが
小さいので、それと上のベッドを取り換え、橋を揃え、やっと治まる。
確かに 欧州だと、もう少し高く、イメージは理解できる。
岩田氏の案内でタイすきにでかけるも、Mさんは、調子悪く、部屋で寝ているとの事で、
気の毒になる。
初めての地下鉄の切符の購入方法を岩田氏から伝授してもらい、自分で各自購入し、
改札を入り、電車にのる。駅はラーマ9世で、すぐ近くの大きなビルに入り、
お腹がすいた3人が、待ちかねたタイすきを、どんどん食べ、追加の野菜も多く、
雑炊食べる前に満腹になる、別皿の中華風のこってりしたソースのカモ肉が
食べ応えがあった。以前にも連れてきてもらったMKのチェーン店だが、
4人で、B1300 バンコクでは、家族で、月一度位しかこれない、レベルとの話で、
豊かになったようである。ここは清潔で、客が多かった。
帰りは、ホテルまで送ってもらい、夜道の確認ができた。
部屋に戻り、下着を洗いにつけ、シャワーを浴び、干しものをし終えると
今日を振り返ることなく バタンキューで、バンコクの最初の夜は消えていく。
朝 いつもより少し早く起き、オートミールとヨーグルトを食べ、昨夜パックした
バッグを担ぎ、普段着で桃山台まで行き、待つこと暫し、中国自動車道からバス
で合流した、友人S氏と地下鉄を乗り継ぎ、難波で、ラピートに乗り、空港まで。
4Fの中央案内所の待ち合わせを、間違え北ウイングの入り口から入ってしまう。
S氏が待つ間、外国で使える携帯電話の手続きをしにいく、まだ来ていないのを
おかしいなと思い、通路を中央よりに歩くと、2人連れの女性を見つけ、声をかけ落ち合う。
S氏が、戻ってすぐ、タイ航空のカウンターに行き、手続きを行う、
混んでもいなく、スムーズにチェックインするが、座席は決められているようで、
融通はきかない。軽食を2人が摂った後、通関検査、パスポート検査を受けた後、
早くも搭乗口のゲートで待つ。
スムーズに乗り込み、トイレのすぐ近くの後尾の席に、並び、M氏の足下が、伸ばした
状態でも 少しゆとりがあり、良かった。
ワインを少し飲んだのが良くなく、Mさんは、気持ちが悪い様子であった。
着陸は、通常より早く着いた事もあり、gangway のwing でなく、タラップとなった。
‘これは 困った 降りられない、ステップが多すぎる。
機内スタッフと交渉し、自動の箱になった、エレベーターを引っ張ってきてくれ、
建物近くの地上までつけてもらう。これは便利である。
スタッフの好意で、スムーズに建物に入れ、税関のパスも殆ど待たずに、私とM氏は、スワナップ空港に入国となる。
あとの2人が並んで、入国パスした時点で、すぐ近くのmoney changer (bank)で2万円、
B7000を交換。
ネットで調べたタクシーの受付は、出たらすぐあるが、価格がB1200と怪しい。
暫く待たせ、カウンターで聞いた1Fに降り、状況を見て やっとわかる、
カウンターといっても、デスク一つで、何やら紙切れに書いてわたしている おばちゃんがいる、あれこれ話すと、きっとこれに違いないと思い、2Fから友人3人を呼び、列に並び、何か もわーと暑い、半袖でないとやれない空気の中、元気なおっさんのタクシー
(メータータクシー)に乗り込む、高速は快適で早く、運ちゃんの調子もよく、歌うように、踊るように、機嫌よくハンドルをとる。市内の境界が近付くと、急に渋滞となり、
1時間以上かかって、ようやくホテルにたどり着く。
割安との事で、期待していなかったホテルがロビーが大きく、3人の女性の声が歓声に変わった。カウンターで声をかけると、‘you mr.watanabe’ と来る。’how did you know?’
岩田氏が隅のロビーで待ってくれていた。
相変わらずの優しい笑顔である。
6Fの部屋に上がると、Mさんのベッドが低いとの事で、その高さだと、隅からヒョイとは立てない。メッドメーキングの可愛い女性とフロントの3元電話で、了解をとり、
自分の部屋のベッドを運び入れ、重ねるも 今度は高すぎる、そこで、スペアのベッドが
小さいので、それと上のベッドを取り換え、橋を揃え、やっと治まる。
確かに 欧州だと、もう少し高く、イメージは理解できる。
岩田氏の案内でタイすきにでかけるも、Mさんは、調子悪く、部屋で寝ているとの事で、
気の毒になる。
初めての地下鉄の切符の購入方法を岩田氏から伝授してもらい、自分で各自購入し、
改札を入り、電車にのる。駅はラーマ9世で、すぐ近くの大きなビルに入り、
お腹がすいた3人が、待ちかねたタイすきを、どんどん食べ、追加の野菜も多く、
雑炊食べる前に満腹になる、別皿の中華風のこってりしたソースのカモ肉が
食べ応えがあった。以前にも連れてきてもらったMKのチェーン店だが、
4人で、B1300 バンコクでは、家族で、月一度位しかこれない、レベルとの話で、
豊かになったようである。ここは清潔で、客が多かった。
帰りは、ホテルまで送ってもらい、夜道の確認ができた。
部屋に戻り、下着を洗いにつけ、シャワーを浴び、干しものをし終えると
今日を振り返ることなく バタンキューで、バンコクの最初の夜は消えていく。
2009年11月09日
友と行く バンコクの旅行き
10.30 - 11.3
その旅は、スワナップ空港に着くや、タラップが降り、待つこと暫し
特別に、移動式エレベータの箱の出迎えを受け、暖かい大地に着くこととなる。
また新たにできた広大な空港、整備された地下鉄網と補足の高架トレイン、
広い道を、カラフルに彩られた夥しいタクシーが疾走する街、高層ビルの林立、
貧富の差を感じさせるファランポン駅からの鉄道に沿ったスラムと高級なホテルと高級車、眠らない夜の街バンコクは、急速に成長した経済と長い歴史が混在した、人の香りのするエネルギッシュな街である。
この度は、足の不自由な友といたからこその、交通機関のスタッフや人々のやさしさを感じた旅であった。
その旅は、スワナップ空港に着くや、タラップが降り、待つこと暫し
特別に、移動式エレベータの箱の出迎えを受け、暖かい大地に着くこととなる。
また新たにできた広大な空港、整備された地下鉄網と補足の高架トレイン、
広い道を、カラフルに彩られた夥しいタクシーが疾走する街、高層ビルの林立、
貧富の差を感じさせるファランポン駅からの鉄道に沿ったスラムと高級なホテルと高級車、眠らない夜の街バンコクは、急速に成長した経済と長い歴史が混在した、人の香りのするエネルギッシュな街である。
この度は、足の不自由な友といたからこその、交通機関のスタッフや人々のやさしさを感じた旅であった。
2009年09月24日
2009年09月23日
2009年09月01日
夏の思い出 (友の6回忌)
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平成16年5月24日に、55歳で突然亡くなり、5年が過ぎた。
英詩が好きな紳士だった友を思い、未亡人になった人の
終の棲家になった別邸を 今年も同級生で訪れた、
毎年のお経を読み、心づくしの、小生の好きな 丹波牛の刺身を
用意して待ってくれていた。
舞鶴北陸道に乗り換えて まもなくの春日インターを降りると
自然の匂いがする、つくとすぐ 一人で周囲をあるき その地の空気にふれる。
夜は、真っ暗な中、すぐ裏の川の突堤に立ち、黒い山々、田畑、わずかに灯りを
見つけて安らぐ、静かな古の風景が 心に残る。
今年は、膠原病の夫人と友人を連れて、アジアの地を案内する約束をしてしまった。
楽しく安全な旅にしなくては、課題を持って、今年の夏も終わった。
平成16年5月24日に、55歳で突然亡くなり、5年が過ぎた。
英詩が好きな紳士だった友を思い、未亡人になった人の
終の棲家になった別邸を 今年も同級生で訪れた、
毎年のお経を読み、心づくしの、小生の好きな 丹波牛の刺身を
用意して待ってくれていた。
舞鶴北陸道に乗り換えて まもなくの春日インターを降りると
自然の匂いがする、つくとすぐ 一人で周囲をあるき その地の空気にふれる。
夜は、真っ暗な中、すぐ裏の川の突堤に立ち、黒い山々、田畑、わずかに灯りを
見つけて安らぐ、静かな古の風景が 心に残る。
今年は、膠原病の夫人と友人を連れて、アジアの地を案内する約束をしてしまった。
楽しく安全な旅にしなくては、課題を持って、今年の夏も終わった。
2009年08月26日
白馬岳行 ( 8月19日 − 22日、2009 )
2009.08.19 – 08.22
10数年ぶりにアルプスへ。
蓮華温泉〜白馬大池まで、19日夜から高速で走り、20日 7:30 から
蓮華温泉を19kg 背負い 出発、12:30 に全身から体力、気力が抜け落ち, 3時間半のコースを、5,6度休憩し1時間余分にかかり、精も根も使い果て大池到着。
登り始めて1時間位で、 ペットボトルの水 2kg をH氏のパックにいれてもらう。
到着後即テントを張り、米を炊く。
豪華なステーキの食事を作り、翌日に備えるも雨の為 中止、トムラウシにならない為、白馬登頂をあきらめ、頂上までの1/3 位を、強風の中歩き、戻る途中 雨となり、ビショビショノ中、走っておりる。
昼に小雨の中登ったシニアのグループ、夫婦づれ、白馬岳から降りてきた連中に聞くと、風雨で大変だったとか。3000m 近い山は危険であるのを実感する.
細い 馬の背の様な尾根道に、強風が吹き、小雨が降り、ガスで前方が見にくい。
小屋に戻り、持参の下着、シャツを着替え、夕食に取り掛かるも、雨が強く、
3時間半はかかる 白馬岳を目指した一行を思う。
山小屋利用の故に強行軍する、更に 雨風が強ければ、滑落の危険もある。
今日は 天婦羅を行って気勢を上げるも、高校生の集団15、6名が雨の中 到着し
賑やかになる、されど 雨は やまず。
食後 塗れたまま シュラフにもぐり、テントに降る強い雨、強風で、テントが飛ぶのではないかと恐れる中、数時間たっても眠れず、眠剤を飲み眠る、5時に起床、慌てて
朝食のあと、体力、時間の状況をみて、登頂を残念し、蓮華温泉まで下る、
3時間かけて降りると、ほっとする。
早速 下の露天温泉、山小屋内の温泉で、ゆったりつかり、この滞在中の汗を落とす。
暫し 休息の後、大王わさび園へ直行し、名物のざる蕎麦、わさびソフトを食べ、
1時過ぎに、高速に乗り、400km位を、3人交代で運転し、夜9時前に友人宅、
送ってもらい、食事をとって 10時過ぎには、倒れるように眠りについた。
2009/08/26 記
10数年ぶりにアルプスへ。
蓮華温泉〜白馬大池まで、19日夜から高速で走り、20日 7:30 から
蓮華温泉を19kg 背負い 出発、12:30 に全身から体力、気力が抜け落ち, 3時間半のコースを、5,6度休憩し1時間余分にかかり、精も根も使い果て大池到着。
登り始めて1時間位で、 ペットボトルの水 2kg をH氏のパックにいれてもらう。
到着後即テントを張り、米を炊く。
豪華なステーキの食事を作り、翌日に備えるも雨の為 中止、トムラウシにならない為、白馬登頂をあきらめ、頂上までの1/3 位を、強風の中歩き、戻る途中 雨となり、ビショビショノ中、走っておりる。
昼に小雨の中登ったシニアのグループ、夫婦づれ、白馬岳から降りてきた連中に聞くと、風雨で大変だったとか。3000m 近い山は危険であるのを実感する.
細い 馬の背の様な尾根道に、強風が吹き、小雨が降り、ガスで前方が見にくい。
小屋に戻り、持参の下着、シャツを着替え、夕食に取り掛かるも、雨が強く、
3時間半はかかる 白馬岳を目指した一行を思う。
山小屋利用の故に強行軍する、更に 雨風が強ければ、滑落の危険もある。
今日は 天婦羅を行って気勢を上げるも、高校生の集団15、6名が雨の中 到着し
賑やかになる、されど 雨は やまず。
食後 塗れたまま シュラフにもぐり、テントに降る強い雨、強風で、テントが飛ぶのではないかと恐れる中、数時間たっても眠れず、眠剤を飲み眠る、5時に起床、慌てて
朝食のあと、体力、時間の状況をみて、登頂を残念し、蓮華温泉まで下る、
3時間かけて降りると、ほっとする。
早速 下の露天温泉、山小屋内の温泉で、ゆったりつかり、この滞在中の汗を落とす。
暫し 休息の後、大王わさび園へ直行し、名物のざる蕎麦、わさびソフトを食べ、
1時過ぎに、高速に乗り、400km位を、3人交代で運転し、夜9時前に友人宅、
送ってもらい、食事をとって 10時過ぎには、倒れるように眠りについた。
2009/08/26 記